哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

意識と現実

 
私達は、いまの現実を、
自分の思い通りにしようと必死になります。
 
 
 
 
当たり前のことではありますが、
 
 
いまの現実が、
自分の思い通りになっていないから、
 
その状況を変えようと思うわけなのですが、
 
 
 
見方を変えれば、それは、
 
 
思い通りの現実になっていない、ということを、
強く意識し過ぎているからに他ならず、
 
 
その意識が、
いまの現実を作り上げている、
 
ということなのです。
 
 
 
 
いまの現実の状況に基づいて、何かを意識している、
のではなくて、
 
 
自分の意識したことが、ただ現実と化している、
だけなのです。
 
 
 
 
意識が現実を作り上げる、
ということなのですから、
 
 
意識すべきことは、
 
 
思い通りになっていない、ことではなく、
思い通りになっている、ことなのです。
 
 
 
 
いまがたとえ、
どのような状況でも関係ありません。
 
 
 
全ては、
 
いま自分が、何を意識しているのか、
 
 
ということに係っているのです。
 
 

新しい自分

 
いまの自分に対し、
何かしらの不満を持っていて、
 
 
何かを変えたい、
新しい自分になりたい、と、
 
 
思う人も少なくないのではないかと思います。
 
 
 
 
 
しかしながら、
時間が経てば、どのようなものであっても変化し、
同じ状態のままでいることは出来ない、
 
 
つまり、
変わっている、のです。
 
 
 
 
私達は、
変わっていることに気が付いていないだけであって、
間違いなく、変わっているのです。
 
 
 
いわば、
成長、進化をいまもしているのです。
 
 
 
 
もしかしたら、
 
自分が想像しているような変わり方、
ではないのかもしれません。
 
 
 
ですが、
私達はいまも尚、成長の途中で、
変わり続けており、
 
 
その変化の仕方は、
誰も予測出来るものではなく、
 
 
これからもどのように変化していくのかは、
分からないのです。
 
 
 
自分の、未知なる可能性なのです。
 
 
 
 
いま、
自分の思う通りにいっていないかもしれませんが、
決して焦る必要はありません。
 
 
 
いまも確実に成長はしているのですから、
 
 
いまとは明らかに変わった自分になるその瞬間を
楽しみにしていればよいのです。
 
 

誰の意思

 
私達は、何かに迷った時、
 
どうするべきか、ということを基準に、
物事を選択しようとします。
 
 
 
どうするべき、というのは、
言い換えれば、
 
 
何が一番よい選択なのか、
ということを、
 
 
自分の意思ではなく、
他者や社会の基準に基づいて判断するのであって、
 
 
客観性を持って判断するにはよいのかもしれません。
 
 
 
 
しかしながら、
どのようなことであっても、
 
 
最終的に決断しているのは、自分、であることを
忘れてはなりません。
 
 
 
 
何かを選択する、というのは、
 
 
どこまでいっても、
 
自分の主体的な意思に基づいて行う、
ということに変わりはなく、
 
 
 
たとえ、
自分が納得していないことであっても、
 
 
自分がそれを選択したのであれば、
 
 
それは、
自分の意思でもって選択したことになるのです。
 
 
 
 
そして、
 
物事は、常に、
自分が選択したその瞬間より、動き出していくのです。
 
 
 
自分が動かしていくのです。
 
 
 
 
 
全ての判断は、
自分の意思において行われるもの、
 
 
他の誰によるものでもないことを、
肝に銘じておかなければならないのです。
 
 

起きる出来事

 
自分の身の回りに起きる何かの出来事
というのは、
 
 
自分の思いとは別に、
 
勝手に起こったものだと
思う人もいるのではないでしょうか。
 
 
 
 
ですが、一方で、
それは勝手に起こっているわけではなく、
 
 
自分の心に同調して、
その出来事が起こったということ、
 
 
いわゆる、
引き寄せ、という捉え方も出来るのであって、
 
 
誰にとっても、思い当たることというのは、
決して少なくはないと思われます。
 
 
 
 
悲しい、苦しい思いや、
楽しい、嬉しい感情というのも、全て、
 
 
自分の心がそのように感じているから、
そのような出来事が起きる、
 
 
ということであり、
 
 
自分の心にあるものを、現実が知らせてくれている、
とも言えるのです。
 
 
 
 
 
とはいえ、だからといって、
 
自分の心を自分がコントロールする、
というのも、
 
難しいことで、とても厄介なことではあるのです。
 
 
 
 
ですが、
 
いまの現実が、
 
自分の意思とは無関係に起きているのではなく、
自分の心が反映されているものだと知れば、
 
 
自分の心に対する見方、向き合い方は、
自ずと変わってくるはずです。
 
 
 
 
自分が何を感じ、どのような思いでいるのか、
何故そのように思うのか・・・
 
 
自分の内面をもっとよく観察することで、
現実が見えてくる、
 
 
もしくは、
 
 
自分の内面を知ることで、
現実を異なる方向に変えることが出来る、
ということなのです。
 
 
 
私達は、
 
自分の内面にもっと気を付けなければならないのです。
決して、無防備にしていてはいけないのです。
 
 

興味と才能

 
何かに挑戦している時に、
 
自分の思っているようには上手く出来ない、というのは、
よくあることですが、
 
 
そのことで、自分に対し、
 
 
才能がないとか、自分には向いていないと思ったり、
挑戦すること自体が無駄なことだと、
 
 
自分の可能性に、早々に見切りをつけてしまうことも
あるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
しかしながら、
 
 
才能がなければ、
そもそも興味を持つことはなく、
 
向いていなければ、
挑戦することの意義を感じることはない、
 
 
という見方もあるのではないかと思うのです。
 
 
 
 
つまり、
 
興味を持ったり、どこかに惹かれたり、
挑戦しようとすること自体が、
 
 
自分の中に、
何かしらの才能や可能性があることを示していて、
 
 
まだ上手く出来ないというのは、
試行錯誤の段階でしかないから、ということなのです。
 
 
 
 
 
興味を持つ、ということは、
それ自体が、才能の一端を示しているわけなのですから、
 
 
自分には出来ない、というのは、
ただの自分の勝手な思い込みに過ぎず、
 
 
諦めてしまえば、そこで終わりですが、
諦めなけば、まだその先があるわけでして、
 
 
諦めて見切りをつけるには、
全く早すぎる、ということなのです。
 
 

決められたルート

 
どこへ行くにも、何かをするにも、
心の中で無意識の内に、ルートを描いています。
 
 
 
それは、
最短で、かつ最適な方法で、
目的地に到達するために必要なことではあるのですが、
 
 
一方で、
その描いたルートに沿っていこうと、
強く意識するあまり、
 
 
どうしても、それとは異なる、
他のルートの存在を見落としてしまいがちになります。
 
 
 
元々、
ルートを辿るということは、
ただの手段であったはずですが、
 
 
いつの間にか、
目的になってしまっているということなのです。
 
 
 
 
 
当然ながら、
私達にとって大事なのは、
目的地に辿り着くことであって、
 
 
必ずしも、
そのルートを辿らなければならない、
ということではありません。
 
 
 
一つのルートに拘る理由は、微塵もないのです。
 
 
 
 
 
そもそも、
目的地に辿り着くためのルートは無数にあって、
 
 
たまたま、
一つのルートを選択しているに過ぎないのですから、
 
 
いつでも、どのような状況であっても、
ルートを変更することは可能であって、
 
 
決められたルート、というものは存在しないのです。
 
 
 
 
ルートは他にもたくさんある、
 
ということを、
いつでも意識しておくべきだということなのです。
 
 

本心から逃げない

 
他人の成功や、幸せな様子を見て、
心がざわついたり、羨ましいと思う経験というのは、
 
多かれ少なかれ、誰にでもあると思います。
 
 
 
 
誰にとっても、
この状態というのはとても苦しいもので、
 
 
いまの自分が、
無力で、思い通りに生きていないことを
思い知らされることにもなり、
 
 
そんな自分を認めてしまうことで、自分が傷ついてしまうから、
自分の心に蓋をしようとするのです。
 
 
 
 
しかしながら、
自分の心に蓋をし、本心を隠すことが、
まだ知らない自分の可能性に、蓋をしてしまうことにもなるのです。
 
 
 
 
他人に対するそのような心のざわつきこそが、
 
 
自分にとっての可能性であり、
自分の生き方のヒントにもなっている一面もあるのです。
 
 
 
 
 
他人を見て、羨ましいと思うことが、
 
 
まさに自分の本心であって、
その思いこそが、自分を変えることに繋がるのですが、
 
 
一方で、その本心を自らによって隠すことで、
自分を変えるきっかけを失わせてしまっているのです。
 
 
 
 
 
そもそも、
 
他人には出来るけど、自分には出来ない、
というのも、
 
 
ただの自分の完全な思い込みに過ぎず、
 
 
その思い込みに囚われ、自分の本心から逃げ隠れをしても、
いまの状況を変えることは出来ません。
 
 
 
 
誰もが、
思い描く自分に必ずなれるのですから、
 
 
自分の本心を素直に認めることが、必要なのです。
 
自分の本心から逃げてはいけないのです。