哲学的思考~Philosophical Thinking

~~全ては「自分を知る」ことから~~【21日間で成功習慣を身に付ける】

軌道修正

 
いろいろ悩んだ末に、
ようやく決断したことであっても、
 
 
それでも尚、
その決断したことに後悔してしまうことは、
誰しも覚えのあることだと思います。
 
 
 
 
何の後悔も未練もなく、決断出来ることというのは、
 
 
そもそも、自分にとって、
大したことではなかったのであり、
 
 
逆に、さんざん悩んで決めたのに
それでも迷いや後悔があるというのは、
 
 
それだけ大事な選択だったということでもあるのです。
 
 
 
 
自分が採らなかった選択肢というのは、
 
 
全てが空想で終始してしまうのであって、
そのことに思いを馳せたところで、何の意味もありません。
 
 
 
 
 
誰一人として、時を戻すことは出来ないのです、
 
 
 
ですが、いつでもどこでも、
軌道修正することは出来るのです。
 
 
 
 
 
人生を決める大事な局面や選択する場面というのは、
そんなに多くあるわけではありません。
 
 
 
大事な局面であるから、
その選択に間違いがないように、
 
 
慎重に思案するのか、もしくは、
直感に従って決めるのか、
 
 
全ては自分の判断次第。
 
 
 
 
大事なことであるが故に、
失敗はしたくないし、失敗することが赦されない、
 
 
と思ってしまうことでしょう。
 
 
 
ですが、
自分が何を選択しようとも、そこで終わりではないのです。
 
 
 
判断した時には、誤りはなかったとしても、
どこかで、失敗に転じるかもしれませんし、
 
その逆もまたあり得るのです。
 
 
 
 
人生は決断の連続なのです。
 
 
ですが、それで全てが決まるのではありません。
 
 
 
どこかで決断を誤ったとしても、
 
たとえ、
それがどのような状況であったとしても、
 
 
自分の思う方向に、軌道修正すればよいのです。
 
 
 
誤った状態のまま、その流れに乗って、
突き進むことも、時には必要なことではありますが、
 
 
恐れずに勇気を持って、軌道修正することも必要なのです。
 
 

悩むことを諦める

 
誰もが、様々な悩みを抱えています。
 
 
 
一言に、悩みといっても、
解決出来るものもあれば、そうでないものもあって、
 
 
解決出来るものに関しては、
解決することさえ出来れば、悩みは解消されますが、
 
 
解決出来ないもの、とりわけ、
自分ではどうすることも出来ない問題については、
 
 
どれだけ悩もうが、その悩みに終わりはありません。
 
 
 
 
悩むことによって、問題が解決するのであれば、
いくらでも悩むでしょうが、
 
 
それをしたところでどうにもならないのであれば、
悩む必要はないのです。
 
 
 
悩むことをやめることが必要なのです。
 
 
 
 
私達の生きるこの世界には、
常に様々な自然現象が起きていて、
 
 
天候の変化や季節の変化というのは、
ごく当たり前のように起きるわけですが、
 
 
これらの一つ一つの現象が起きることに対して、
誰もがそのことに関して悩むことはないと思います。
 
 
 
 
これと同じように、
 
私達にとってどうにもならない問題というのも、
少なからず、当たり前のように存在するのであって、
 
 
そのことに、心を煩わせる必要はないのです。
 
 
 
 
 
しかしながら、
 
このように悩んでもどうにもならないと、
はっきりと分かっていても、
 
 
それでも悩むことをやめられないのも、また、
人間の性なのかもしれません。
 
 
 
悩むことをやめないのは、
その問題を解決することを諦めていない、からであり、
 
 
問題解決を諦めないのは、
問題から逃げてしまう自分にはなりたくない、
 
と心のどこかで思ってしまっているからなのです。
 
 
 
 
解決を諦めることで、
消極的な自分自身になることを恐れてしまっているのですが、
 
 
それが決してネガティブなことではなく、
 
 
解決が出来ない、ということをはっきりと理解した上で、
 
積極的な意志をもって、諦めることもまた必要なことなのです。
 
 
 
 
 
私達には、
まだまだ多くの解決出来ない悩みに溢れています。
 
 
 
そして、
その悩みの全てが解決出来るものではないのですから、
はっきりと、悩むことをやめることが必要なのです。
 
 
それを、自分の意志で決めるのです。
 
 

影響のちから

 
私達の誰もが、
一人の人間として成長し、生きていられるのは、
 
周囲や環境から得られる影響のおかげです。
 
 
 
赤ちゃんの頃はもとより、
母親の胎内にいる頃から、すでに、
周囲の影響を受けて育つという事実はよく知られているところであり、
 
 
成長する過程での周囲からの影響というのは、
無視することの出来ない、とても重大な問題なのです。
 
 
 
もっと言うと、
 
人格形成、生き方、成長、さらにいえば死に至るまでの人生の全てが、
周囲からの影響によって成り立つものだと
理解した方がより正しいと言えるでしょう。
 
 
 
 
自分の人生が、
 
幸福になるか、不幸になるか、
知識や経験が多くあるのか、そうでないか、
性格が温和なのか、粗暴なのか、
 
 
これらの全ても、周囲から受ける影響次第です。
 
 
 
それだけ、
周囲の影響というものは、計り知れるものではなく、
人生における全ての鍵とでも言えるのです。
 
 
 
 
また、
 
自分がこのような人間である、と、
自分でイメージする自分の姿は、必ずしも、
 
 
自分の意志だけでそうなったわけではなく、
周囲の環境からそう形作られたものでもあるのです。
 
 
 
 
ですので、反対に、
 
自分の中で、
性格を直したい、心の未熟なところを直したい、
ダメな自分のままでいたくない、
 
 
といった悩みを持っていることも、多々あるかと思いますが、
 
 
そういう時においても、
周囲の影響という力によって、改善させることも出来るのです。
 
 
 
私達は、弱い生き物であるが故に、
自力だけではどうにかすることも難しいことの方が多いのですが、
 
 
それでも、
周囲の力を利用することによって、
問題を解決することも出来るのです。
 
 
 
 
 
 
私達には、
自分で自分の周囲を選ぶことが出来る自由があります。
 
 
 
親を選ぶことは出来ませんが、
 
どういう知識を得るのか、どういう仲間を作るか、
どの様な場所に住むか、どんな仕事に就くか、何を食べてどの様に生きてくか、
 
 
自分で選択出来るチャンスがあるのです。
 
 
 
自分の幸福のために、しっかりと環境を選んで生きること。
 
 
今からでも遅くありません、
ただ流されたままに生きていくのは、もうやめるべきなのです。
 
 
 
いつ何時も、
なによりも自分のために、環境を選ぶことをやめてはいけないのです。
 
 

腹をくくる

 
どうにもならないような
困難や苦難を目の前にした時、
 
 
どうしようもない不安や絶望感に襲われたり、
自分の無力さに心を痛めてしまうことと思います。
 
 
 
 
私達の人生には、思いがけない形で苦難が訪れるのです。
 
 
 
そして、
その苦難が起きてしまってから、はじめて、
その原因や責任の所在を追及し、
 
 
こうしなければよかったのに、
という後悔の思いでいっぱいになってしまいますが、
 
 
このような思いは、何も生み出すことはありませんし、
何の答えも導き出すことも出来ません。
 
 
 
 
 
既に起きている現実から、
逃れることが出来ないのであれば、
 
 
腹を括るしかないのです。
 
 
 
事態の全てを受け入れて、
それでも、その状況を何とかする、という覚悟が必要なのです。
 
 
 
 
覚悟が出来た時、そこに苦悩はありません。
 
 
 
何かをするよりも先に、
どのような自分でいるのかが大切なのです。
 
 
 
 
 
誰もが、例外なく、
自分が思っているよりも遥かに、強いのです。
 
 
 
自分で気が付いていないだけで、
困難を克服する力を持っているのです。
 
 
 
私達に必要なことは、
腹を括って、いまを生きる、ということなのです。
 
 

苦労と成長

 
人生の目的というのは、
人それぞれに解釈の仕方が違うとは思いますが、
 
 
その一つとして、魂の成長のため、であるならば、
 
 
苦しむために生まれてきた、
という考えもあるのではないかと思います。
 
 
 
 
誰もが、
様々な経験を経て、今の自分に至っているのですが、
 
 
大きな転機というのは、大抵の場合、
苦しいことがきっかけにあって、
 
 
それを克服することで、今の自分へと成長してきたのです。
 
 
 
 
いわば、
成長するためには苦しみが必要、ということであり、
 
 
それが、生きる目的でもある、と言えるのかもしれません。
 
 
 
 
とはいっても、
苦しいことは誰もが嫌ですし、避けたいのは当然のことでしょう。
 
 
 
 
苦しいことを、
避けるべきもの、と解釈するから辛くなるのであって、
 
 
成長できる唯一の機会、と捉えれば、
もっと前向きに受け止められるのではないでしょうか。
 
 
 
 
一番、避けたいのは、
 
 
苦しいからといって、
 
 
何もしないでいること、
もしくは、
今まで通りのままでいようとすること。
 
 
 
勿論、状況によっては、
何もしないでいることも、一つの方便ではあるのですが、、
 
 
 
しかしながら、
ただ苦しいのが嫌だからでは、
 
 
それは、
目前に迫っている成長の機会を、自ら放棄してしまっているのと
同じことになってしまうのです。
 
 
 
 
それでも、どうしても苦しければ、
途中でやめてもいいし、逃げてもいいのです。
 
 
 
やめてもいい、逃げてもいい、
という選択を自分の中で否定してしまうから、
 
 
苦しいことに対し、前向きに受け入れられないのです。
 
 
 
 
私達は、誰もが、いつでも成長したいと思っていますし、
その度に、苦しいことは付き纏ってくるのです。
 
 
 
誰一人、
今の自分のままでいいとは思っていないのですから、
 
苦しいことを受け入れる勇気が必要なのです。
 
 

思考と現実

 
どうしても、
悩み事や心配事が頭から離れない時があります。
 
 
 
このような時、
ただ漫然と不快な気分を感じていても、何も変わりません。
 
 
 
しかしながら、だからといって、
そのような思考をやめるしかない、と分かっていても、
そんなに簡単に止めることが出来るものでもありません。
 
 
 
 
もしかしたら、
ずっと考え続けていれば、
やがて何かの答えが見つかるかもしれませんし、
 
 
不安に思っていた通りの出来事が、仮に起きたとしても、
頭の中で先にシミュレーションしているから、
 
 
そんなに精神的なダメージを負わずに済む、
と思ってしまっているのかもしれません。
 
 
 
 
 
そもそも、
この考えている、いま、という瞬間というのは、
 
 
それについての思考をしているだけであって、
その問題自体が、実際にいま起きているわけではないのですが、
 
 
この自分の中の思考を、
まるで現実のものとして感じてしまうことよって、
 
自分で自分の心を息苦しくしてしまっているのです。
 
 
 
 
勿論、これは、
思考の中の世界のことであって、現実のことではありません。
 
 
 
現実のいまのこの瞬間に、
自分が不安に思っていることは何も起きていないのです。
 
 
 
 
 
当然ながら、
私達はこの現実の世界で生きていて、思考の世界ではありません。
 
 
 
現実の世界ではどこまでいっても、いま、しか存在せず、
 
 
いましか生きられないのだから、シンプルに、
いましか出来ないことをするだけなのです。
 
 
 
人生とは、いまを生きること、それだけなのです。
 
 

エゴの解放

 
幾人かの成功者や偉人達が、
何かしらの大業をなしてきたのは、
 
 
一つのことをやりきる、という、
 
 
明確でブレのない、強い意志があったから、
と言えるのではないでしょうか。
 
 
 
 
強い意志というのは、
志、目的、向上心、探求心であり、
 
 
その最たるものが、
エゴであり、自我、我欲なのです。
 
 
 
 
そして、
この強いエゴがあったからこそ、
これまでの常識を変えてきたわけであって、
 
 
何かを変えていくためには、
エゴこそが必要だとも言えるのです。
 
 
 
 
 
しかしながら、
 
このエゴにも、良い面と悪い面があるのは、
誰もが認識している通りで、
 
 
悪い面が作用してしまえば、
それは、本当の意味で、
 
 
自分本位、自分だけが良ければそれでよい、
という発想に陥り、
 
 
その結果、
 
エゴそのものを持たない方がいい、
という考えに終始してしまうのです。
 
 
 
そして、そのような認識が、
自分の中のエゴを中途半端なものにさせてしまい、
 
 
それによって、
何事もなすことが出来ないまま、中途半端に終わり、
 
 
結局、エゴは持つべきではない、
という考えに落ち着いてしまうのです。
 
 
 
 
 
私達にとって、エゴとは、
この世で生きるためのエネルギーでもあり、
 
 
エゴがあるからこそ、
何かを実現させることが出来るのです。
 
 
 
 
何かをなすための最初の起点は、必ず自分であって、
自分本位でいることは必要なことなのです。
 
 
 
 
何かを変えるために、
エゴでいることに躊躇していてはダメなのです。
 
 
 
もっと自分自身のエゴを解放するのです。