哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

必要な鈍さ【再掲】

 
私達は普段、会話等でのコミュニケーションにおいて、
発している言葉とは別に、
その言葉の裏に隠された意図を読み取ろうとする。
 
 
 
それによって、
やり取りをより円滑なものに出来たりするのだが、
 
 
一方で、必要以上に相手の意図を読み取ってしまうが故に、
余計な干渉をしてしまうこともある。
 


そして、それが自分を苦しめることにもなったりする。
相手は何もしていないのに、
自分で勝手に、自分の心を相手に譲り渡してしまうのだ。
 
 
 
だから、あえて鈍さを持ち続ける。
相手の意図を知っていても、知らない風を装う。
 
 
 
鈍くいることが、自分自身を守り続けるのだ。

 

進むか退くか【再掲】

 
時間は流れ続け、その場に留まることはない。
私達も常に、その場にいつづけることは出来ない。
前進するか後退するかのどちらしかない。
 
 
 
とりわけ、
変化を好まず変わらないままでいたい、
と現状維持を望むこともいるが、
 
 
変わらないでいるというのは、
その状況の流れに流されているだけであって、
 
後退している、のと同じである。
 
 
 
前進していなければ、後退するしかなく、
後退しなければ、必ず前に進む、
ということである。
 
 
常に前に進む気概でいることを肝に命じておこう。
挑戦することはそれだけで意味があることを、
今一度自覚しよう。
  
 
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進まざる者は必ず退き、
退かざる者は必ず進む
福沢諭吉
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道草する【再掲】

 
人生は短いという。
 
確かにその通りではあるのだが、
そのことばかりに氣にしすぎて、
いつも焦ってばかりいる。
 
自分の人生、これでよいのかと。。
 
 
自分の為すべきことがわからないからか、
それとも、
わかっていても為すべきことが出来ていないからか。
 
 
そこに至っていないのが、
「遠回り」=「道草」=「悪」だと思い込んでしまい、
そのような余計な道草ばかりしていると思うから、
自分を苦しめてしまう。
  
 
だが、道草は悪ではない。
道草することでしか見えないものもたくさんある。
 
むしろ、
道草は生きるための「必要なプロセス」でもあるともいえる。
 
 
だから、もっと堂々と道草をしてもいい。
いつでもそのくらいの氣持ちでいよう。
 
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いいじゃないか、
5年道草をくったら、
5年遅く生まれて来たと思うのだ。
吉川英治
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今の悩み【再掲】

 
多かれ少なかれ、
誰もが何かしらの悩みを抱えている。
 
ところで、
今現在抱えている悩みというのは果たして、
来年の今も同じように、自分に関わり続けているだろうか。
 
もしかしたら、
その多くは自分にとって、
悩むほどの問題では既になくなっているのではないだろうか。
 
 
それは、
何かしら解決の糸口を見つけることが出来たのかもしれないし、
時間が解決してくれたのかもしれない。
 
もしくは形を変えて、
また別の問題となっているかもしれないが。
 
 
 
悩みは苦しいものだし、
出来ればないほうが楽に生きられるのであろう。
 
だが、その悩みが、
 
自分の人生全体において、
どれだけの影響があるものだろうかを思ってみた時、
 
その悩みは、先ほどまで感じていたものより、
きっと小さなものになるのではないだろうか。
 
そう考えた時、
生きることが少しは楽になることはないだろうか。

自分の価値【再掲】

 
自分の価値は自分が決める。
 
それは何であろうと、
自分が価値があると思えばあるし、ないと思えばない。
 
 
これまでも何かの選択に迫られた時、
自分で価値があると思っているものを
私達は選択してきたはずである。
そこに他人の価値が介在することはない。
 
そして、選択した結果、
思うような成果を得られないことというのも多々ある。
 
だが、だからと言って、
自分の選択したことに価値がなかったということではない。
結果が伴わなかっただけのことだ。
 
  
結果も確かに大事だが、
結果ばかりにフォーカスしてしまうことで、
自分の価値を卑下したりしてはいないだろうか。
 
 
自分が価値があると思ったのであれば、それ以上のものはない。
自分の価値は自分が決める、である。

知らないから出来ること【再掲】

 
知らないからこそ出来ることがある。
逆に、知ってしまったがために、
出来なくなってしまうことがある。
  
 
知らないから恐れを感じないし、
知りすぎてしまうから臆病になって動けなくなってしまう。
 
知るということは、
生きる上で必要なことだが、
 
知りすぎることは、
かえって生きづらさも感じてしまうのかもしれない。
 
 
情報過多の現代、
知らないことでも容易に情報を得やすい時代である。
 
あえて知らないでいる、
ということも、生き方として必要なことなのかもしれない。

失敗はない【再掲】

 
何を行うにしても、失敗はつきものです。
 
 
 
失敗して、ただ、
失敗してしまった、で終わりにしてしまえば、
 
 
その言葉の通り、
失敗、で終わってしまうのですが、
 
 
一方で、
成功のための一つのプロセス、
という側面もあるのです。
 
 
 
 
失敗して、そこで諦めてしまえば、
失敗のままで終わりますが、
 
 
諦めることなく、何度もやり続ければ、
やがて成功することも出来るでしょう。
 
 
 
その時、その失敗は失敗ではなく、
成功のための必要な過程、プロセスに変わるのです。
 
 
 
 
 
 
 
失敗も成功も、今のこの瞬間においては、
ただの一時的な事象に過ぎず、
 
 
どちらの結果になろうとも、
必ず、その先、というものがあるのです。
 
 
 
 
失敗して、
その先も、失敗にしたままにしてしまうのか、
 
失敗しても、
その先は、成功に転じるのか、
 
 
どちらを選択するのかは、
全て、自分の意志、考え方次第ということなのです。
 
 
 
 
 
過去の失敗と思ってしまっていることは、全て、
これから成功するために必要なプロセスなのです。
 
 
 
ですから、
決して、失敗ではない、ということを、
改めて認識しておくことが大事なのだと思うのです。