哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

自分を変える存在

 
私達の誰もが、
自分の好きなところ、嫌いなところがあると思います。
 
 
 
もしかしたら、
嫌いなところの方が多いのかもしれません。
 
 
 
それは、
見た目であったり、性格であったり、才能であったりと、
人それぞれなのですが、
 
 
 
特に、
過去の失敗や周囲の人に言われて傷ついたことというのは、
 
 
どれだけ時が経っても、
いつまでも癒されることはなく、
 
 
それが、
セルフイメージとなって、
自分の行動にブレーキやブロックをかけることになり、
 
 
いまの自分に対し、
未だ大きな影響を与え続けるのです。
 
 
 
 
 
当然ながら、誰もが、
そのようなブレーキやブロックを手放したいと、
思っていることでしょう。
 
 
 
ですが、そう思っていても、
それが出来ないでいるのは、
 
 
そのように傷ついている自分のことを認められないまま、
自分の過去に蓋をし、見て見ぬふりをしていて、
 
 
更に、そのような
自分自身に対して責めたり、怒ったり、
自分自身を否定し続けているからなのです。
 
 
 
 
 
過去の自分を認め、否定することをやめない限り、
いつまでも苦しい自分のままなのです。
 
 
 
そんな状態のままでは、
思い通りに生きたり、自分を変えることは出来ません。
 
 
 
 
どれだけ、
周囲の人が自分を認めてくれていたとしても、
肝心の自分が認めなければ、何も変わることはありませんし、
 
 
逆に、
周囲に否定的に思われようとも、
自分だけが自分を認めてさえいれば、それで十分なのです。
 
 
 
 
自分を変えることが出来るのは、
唯一、自分だけであり、
 
 
そんな自分を癒すことが出来るのも、
自分だけなのです。
 
 
 
過去の自分を受け入れない限り、
自分を変えることは出来ないのです。
 
 

悩みの原因

 
誰もが様々な悩みを抱えています。
 
 
 
悩みにもいろいろなケースがあるので、
一概にとはいきませんが、
 
 
大概の悩みというのは、
 
 
頭の中であれこれ考えてしまうから、
思考してしまうから、
 
 
起こるものなのです。
 
 
 
 
頭では、考えることは出来ても、
決めることが出来ない、
 
 
そして、
決めることが出来ないから、悩むのであって、
 
 
つまり、
頭で考えている限り、悩みから解放されないのです。
 
 
 
 
一方で、
 
 
腹に落とす、腹を決める、腹を括る、
という言葉がある通り、
 
 
私達が実際に、
物事を納得したり、決断したり、覚悟を決めたり、
 
 
しているのは、
頭ではなく、腹なのです。
 
 
 
 
 
私達は、
自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、
 
 
様々な局面において、悩みますが、
 
 
本当は、
自分の腹の底では分かっていて、
自分の中に答えがあることを知っているのです。
 
 
 
 
ただ、
頭で考え、論理的に思考してばかりいるがために、
 
 
自分の中に答えがあること自体、
分からなくなってしまっているだけなのです。
 
 
 
頭だけで考えていては、悩むばかり、
 
 
答えは自分の中にあることを感じることが、
とても重要なのです。
 
 

選択するのは自分

 
私達の多くは、どうしても、
自分自身のことを責めたり、批判したりと、
 
 
とにかく、
自分のことをネガティブに評価することは得意なのに、
 
 
逆に、
自分のことをポジティブに評価することは、
あまりないのかもしれません。
 
 
 
 
 
自分のことを、
どのように評価するのかは、
 
 
誰に強制されているわけでもなく、
自分の自由で、自分が決めるだけである、
 
 
にもかかわらずなのです。
 
 
 
 
 
全ては、
自分が何を選択し、何を思うのか、
 
というだけのことなのです。
 
 
 
自分をネガティブに評価するのも、
自分の自由なのですが、
 
 
一方で、
ポジティブに評価することも、自分の選択なのです。
 
 
 
 
どのような自分を選択し、どのような自分でいたいのか、
 
 
自分の世界は、自分が思っているように作られるのです。
 
 

不安の正体

 
誰もが、大なり小なり、
何かしらの不安に駆られているかと思います。
 
 
 
そして、その不安というのは、
常に、未来のことについてであって、
 
過去やいまのことではありません。
 
 
 
これから起こる未来で、
 
 
自分が、いま、
思考や想像することの出来るネガティブな状況に対して、
 
不安を覚えるのです。
 
 
 
 
勿論、
未来が実際にどうなるかは分かりませんが、
 
 
不安というのは、
 
 
ネガティブな自分が発しているので、
とても視野の狭いものでしかなく、
 
 
更に、
いまの自分の思考や想像の域を越えない、
極めて限定的なものなのです。
 
 
 
 
 
起こりうる未来というのは、
無限の可能性が隠されており、
 
 
私達の想像を、容易に越えてしまうものなのです。
 
 
 
 
自分の想像した通りの不安が、
実現してしまう可能性は、
 
 
決してゼロではありませんが
 
 
その可能性は、
私達が思っているよりも遥かに、低いものなのです。
 
 
 
 
場合によっては、
もっと悪い状況にも成り得るのですが、
 
 
たとえそうであっても、
私達がいま、それを想像することが出来なければ、
 
 
当然、不安に思うことはないですし、
 
 
不安でなければ、
いまこの瞬間に、心を煩わされることはないのです。
 
 
 
 
自分の想像したことに、
自分が翻弄されてしまっているだけなのです。
 
 
 
 
 
不安を持たない、不安を排除し続けることは、
難しいことかもしれませんが、
 
 
不安は、自分が創り出した想像でしかないことを、
改めて認識するべきなのです。
 
 
 
 
不安の正体は、
自分の思考であり、想像だということなのです。
 
 

ジャッジする自分

 
誰かに対して、そして、
自分に対して、
 
 
イライラしたり、苦しくなってしまうのは、
 
 
自分の中で、
正しい、間違っている、
 
 
と、ジャッジしているからに他なりません。
 
 
 
 
起きている出来事というのは、
 
 
ただ、その出来事が起きている、のであって、
元々そこに何かの意味があるわけではないのですが、
 
 
その出来事に対して、
正しい、間違っている
 
 
と、自分が意味が持たせることによって、
はじめて、意味を持った出来事になるのです。
 
 
 
 
自分が、正しい、
と意味を持たせれば、その通りの出来事になり、
 
 
間違っている、
と思えば、やはりその通りになるのです。
 
 
 
 
 
全て決めているのは、自分なのです。
 
 
 
 
自分が決めた通りに、
全ての出来事は、意味を持つのですから、
 
 
起きた出来事に、
自分が何も意味を持たせなければよいのであって、
 
 
自分がジャッジしないことを選べば、
自分の心を煩わされることは何もないのです。
 
 
 
意味付けをしているのは、自分、
ジャッジしているのは、自分なのです。
 
 

思い込みと現実

 
私達が見ているものは、
現実という世界、というものとしては共通なのですが、
 
 
その見ていることに対して、
どのように意味付けをするかは、人それぞれ全く異なります。
 
 
 
 
そして、
その意味付けしたものというのは、
 
 
ただの思い込み、でしかないのですが、
 
 
その思い込みこそが、
本人にとっては真実であり、全てなのです、
 
 
 
 
誰にとっても、
自分の思い込んでいることが、
真実であって、疑いようのないものなのです。
 
 
 
そして、その思い込みによって、
 
自分が出来ること、出来ないことを区分けし、
自分の限界を作り上げてしまっているのです。
 
 
 
 
 
私達はただ、
 
自分の想像したいように想像し、
解釈したいように解釈しているだけであって、
 
 
自分にとって出来ないということを、
自分で勝手に想像し、解釈しているだけなのです。
 
 
 
まさに、
自分で想像、解釈したことを、
その通りに、現実化させているのです。
 
 
 
 
現実というものが、
自分の想像、解釈したものなのですから、
 
 
もし、
今と違う現実を作りたいのであれば、
そう思う世界を想像、解釈するだけのことなのです。
 
 
 
ですから、
自分の未来というのも、
何を想像し、どのように解釈するかで決まるのであって、
 
どのような未来にするのかは、
自分の思い次第、ということなのです。
 

悩むことをやめる

 
私達が、悩み苦しんでしまうのは、
 
 
自分がそのことに対して、
何もすることが出来ないから、
 
 
ということでもあるのではないでしょうか。
 
 
 
 
たとえ、
厄介で困難な問題であっても、
 
 
自分でやるべきことがあるならば、
 
 
そのことに集中してやるだけであって、
何も悩んだり苦しんだりすることはないのです。
 
 
 
 
自分では、どうしようも出来ず、
何をすればよいのか分からないからこそ、
 
 
どうすればよいのか、悩むのです。
 
 
 
 
しかしながら、
 
自分でどうすることも出来ないものを、
いくら悩んだところで、
 
 
自分だけでどうにかなることはありません。
 
 
 
自分がどれだけ悩み苦しんでも、
問題は解決されず、状況は変わらないということなのです。
 
 
 
だからこそ、
 
自分でどうにもならないことに対して、これ以上、
自分の心や精神に負担を与えるべきではないのです。
 
 
 
 
勿論、悩み苦しんだことによって、
何かしらの解決策を見出すことも出来るかもしれませんが、
 
 
自分の心や精神は、自分だけしか守れないのです。
 
 
 
果たして、
自分の心や精神に、過大な負担をかけてまで、
解決しなければならない問題はあるのでしょうか。
 
 
 
 
 
悩むことを諦める、
苦しむことをやめてしまう、
 
 
ということも、一つの有効な選択肢であることを、
私達は知っておくべきなのです。