哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

自分を「観察」する

私達は、毎日、
何かしら考え、悩んでいます。
 
 
そして、
悩めば悩むほど、
考えれば考えるほど、
 
「懐疑的」で「ネガティブ」に陥ってしまう。
 
 
これは、
「自分を守る」ために
人の「生存本能」がもたらすものであって、
「生理的反応」として、出てしまうものなのです。
 
 
 
しかしながら
このような精神状態においては、
決して良い考えやアイデアが思いつくはずもなく、
 
 
「真面目」に考え、悩むほどに、
「負のスパイラル」に嵌る、
 
という悪循環に陥るのです。
 
 
 
つまり、いかに、
「氣分よく」、「ポジティブ」な状態を
作り出せるかが、ポイントであって、
 
 
私達は、これまでの経験則から、
これらのことをよく知っているはずなのに、
 
 
未だに、
自らの「本能」に振り回されるばかりで、
有効な手段を見出すこともままならないのです。
 
 
 
 
全ては、
 
「自分をコントロール
するところにあるのです。
 
 
そして、現代では、
「自分をコントロール」するために、
様々な「手法やツール」が出回っています。
 
 
これを利用して、
自分を上手く「コントロール」することが
出来る人も、勿論いるわけなのですが、
 
やはり、一定数は全く変わらないわけで、
 
 
それは、やはり、
これらが、「万人向け」のものでしかないから、
なのです。
 
 
 
人の精神や心は、千差万別で、
「他人」にはどうにも理解できないことも多く、
「自分」にしか認識できないことが沢山存在するのです。
 
 
ですので、本来なら、
もっと「自分」とよく向き合わなければならないはずなのに、
 
 
そこを拒否して(もしくは端折って)、
 
何かの「手法やツール」ばかりを頼って、
「自分」をよく見ようとしないから、
見えるものが見えなくなってしまっているのです。
 
 
 
まずは、とにかく、
もっとよく「自分」を「観察」するのです。
 
 
「観察」することで、
見たくないものも見えてくるかもしれませんが、
 
そこを含めて、
「自分」というものをもっとよく認識することが出来るのです。
 
 
そして、それが結果的に、
「自分をコントロール」するための糸口に、
繋がってくるのです。
 

全ては「変化」する

物事は常に「変化」します。
全ては「諸行無常」の理でもあるのです。
 
 
ですので、
どれだけ過去に「良い」ものであったとしても、
 
時が経てば、
全ては「劣化」し、
「悪い」ものへ変化してしまうのです。
 
 
そして、それは、
「何もしなくても」なのです。
 
 
 
たとえ、
「同じ状態」を維持するだけでも、
それなりの努力を必要とするわけで、
 
「より良く」するのであれば、
尚更のことでもあるのです。
 
 
つまり、
「何もしない」、「放置する」ことは、
 
それ自体で、既に「悪化」への方向に
向かってしまっている、ということなのです。
 
 
 
何をしても、何をしなくても、
全ては「変化」するのです。
 
 
ですので、
同じ「変化」をするのであれば、
 
「悪い変化」は論外であり、
 
また「現状維持」でもなく、
 
全てを「良い変化」に向かうように
必要な努力を行うべきだと思うのです。
 
 

「続ける」こと「自分を知る」こと

何事も「続けて」きたことが、
その人の「能力」であり、
 
また、「続けて」きたことしか、
役に立たないものであって、
 

 
「続ける」という事の重要性は、
誰もが認識しているところだと思います。
 
 

 
そして、
誰もが、「続ける」ことが出来るものと、
そうでないものとを持ち合わせているのです。
 
 
全てのことを「続ける」ことは出来なく、
全てのことを「続けられない」こともない。
 

 
それは、
「続ける」ということが、
「技術やテクニック」でカバー出来るものではなく、
 
 
「続けられない」ものは、
どうしても「続ける」ことが出来ないのです。
 
  
 
哲学に関する教えの中にも、

----------------------------------
・続かないのは、飽きるから、
・飽きるのは、進化成長が無いから、
・進化成長が無いのは、「探求と模索」が足りないから
・「探求と模索」が足りないのは、そこに「宿命」が潜んでいないから
---------------------------------
 
というものがあります。
 
そして、ここでいう「宿命」というのは、
「才能」と、読み替えると分かりやすいと思います。
 
 
 
つまり、
自分の中に生まれ持っている「才能」を、
「興味」という媒体を通じ、
「続ける」ことで、発現させる
 
というプロセスになるのです。
 
 
 
これは、結局のところ、
 
自分にとって、
「何が続けることが出来るのか」、
という見極めることの重要性も意味していて、
 
 
この見極めとは、則ち、
「自分を知る」ということなのです。
 
 
つまり、
「自分を知らず」して、
何かを「続ける」ことは出来ない、
ともいえるのです。
 
 

選択と行動

人は「行動」が、全てと言われています。
 
 
そして、その「行動」は、
全ては「意志」にはじまり、
それが「決意」、「決断」に変わることではじまりますが、
 
 
具体的な「行動」の仕方については、
唯一絶対な答えというものはなく、
 
それこそ「無数」の選択肢の中から、
「選ぶ」ことになるのです。
 
 
そして
この「選ぶ」ということがために、
 
私達は、
「迷い」、「悩み」、「逡巡する」
ことになるのです。
 
 
「行動」に、
選択の余地がなければ、
何も「迷う」ことなく、先に進めるでしょうが、
 
 
しかしながら、
「選ばない」といけないのです。
 
 
 
「行動」するからには、当然ながら、
思い通りの結果を得たい、
 
ですが、
結果が必ずそうなるとは限らない。
 
 
 
そもそも、
「絶対」ということが無い、この世界においては、
全ての「選択」は、
本質的には全てが「賭け」なのです。
 
 
「賭け」である以上、
勝つこともあるし負けることもある。
 
 
だから、
何度も「行動」し、
自分が納得するまで
「挑戦」し続ける必要がある。
 
 
そして、
何度も「行動」、「挑戦」するためには、
一つの結果にこだわり過ぎてはいけないのです。
 
 
結果にこだわり過ぎることで、
「行動」をストップさせてしまうこともあるので。。
 
 
 
諦めずに、何度でも「行動」しましょう。
 
「行動」することが、
私達に与えられた「特権」でもあるのですから。
 
 

きっかけを掴む

自分の何かを変えようと、
様々なことを学ぼうと思う方は,、
たくさんいるかと思いますが、
 
 
学んだはいいものの、
実践で活かすことが出来ずに、
悩む方も多いと聞きます。
 
 
実践で活かすためには、
とにかく、
 
 
「素直に実践」する、
「行動に移す」ことなのですが、
 
 
ここで、
深く考えすぎたり、分析しすぎたり、
納得しなければ先に進まない、等と、
 
 
学んだことに対し、
「素直に」なれないのが、ほとんどの原因です。
 
 
そして、
「素直に」なれないのは、
自分が「自分を信用」していないから、
 
でもあるのです。
 
 
 
人生というのは、
ほんの些細な「きっかけ」で変わるものです。
 
 
その「きっかけ」を掴むかどうかが、
「素直さ」そのものでもあるのですが、
 
 
そのような
「きっかけを掴む経験」が全然少ないから、
「素直に」なれない、ともいえるのです。
 
 
ですので、とにかく、
「きっかけを掴む経験」
を積むしかないのです。
 
 
 
そして、
「きっかけ」は「きっかけ」にしか過ぎず、
上手く「きっかけを掴んだ」ところで、
 
当然ながら、
その後何もしなければ、
何も変わることはないのです。
 
 
ですので、
本当に頑張らなければならないのは、
ここからになるのです。
 
 
 
 
世の中は、何もかもが予測不可能で、
 
「何かをすることで、何かを失ってしまう」、
という「恐れ」があるから、
 
 
「素直に」なれず、疑い続けるのですが、
 
 
「何もしなくても、失うものもある」、
ということも忘れてはなりません。
 
 
そして、
「失うものがある」ということは、
 
反対に、
「新しく得るものがある」
ということでもあるのです。
 
 
失うことばかりを恐れる必要はないのです。
 
 
もっと自分を信じて、
もっと自分の可能性に賭けてみても
いいのではないでしょうか。
 
 
自分の「外側」にあるものは、
何一つ思う通りにはならないかもしれませんが、
 
 
自分の「内側」にある気持ちだけは、
唯一思い通りになるものなのです。
 

自分という在り方

人にとって一番の後悔というのは、
「やらなかった事への後悔」
 
と言われています。
 
 
これをやっておけばよかった、
このような生き方をしてみればよかった、、
と。
 
 
後悔の気持ちは人それぞれですが、
共通して言えるのは、
 
「自分とは、どのような存在であったのか」
 
という思いでしょう。
 
 
 
人生は長いようで短く、短いようで長い。
 
時間は有限で、
悠長なことを言っている場合では、
本来はないはずなのですが、
 
実際のところ、
私達の生活は、その大半が日々のルーチンで占められ、
それの連続なのです。
 
 
 
そのような日常を繰り返すからこそ、、
「何か特別なこと」をしなければならない、と、
 
そこに意識をフォーカスしてしまいがちなのですが、
 
 
もっと意識を向けるべきは、
人生の大半を占めるその日常の方であり、
 
その日常の毎日に、
「何をするか」、
ということに掛かってくるのでしょう。
 
 
 
全ては日々の積み重ねです。
 
毎日繰り返しやっていることが、
貴方の「在り方」を作り上げるのです。
 
 
貴方は、本当はどのような「存在」でいたいのでしょうか。
 
そして、そうなるために、
日々やっていること、やるべきこととは何でしょうか。
 

新しい「価値観」

私達は、
それぞれに独自の「価値観」を持って生きています。
 
 
「価値観」というのは、
生まれ持ったものではなく、
 
 
生まれてから今までの、
全ての周囲の環境(親、友人等)の影響を受けて、
作り上げられたものなので、
 
 
年齢や立場等に関係なく、
生きている限り、常に変わり続けるものなのです。
 
 
 
しかしながら、
その一方で、
私達は、自分の「価値観」を好んで変えようとは思いません。
 
 
 
なぜなら、
「価値観」というのは、
自分の行動原理になるものであり、
「自分そのもの」でもあるからなのです。
 
 
つまり、
「価値観」を変えるというのは、
 
 
今までの自分の「生き方を否定」することに繋がってくる、
と思ってしまうからなのです。
 
 
これは、どうしても、
「価値観」というものを、
今までの古いものから新しいものに「上書き」する、
 
という発想からくるものなのですが、
 
 
 
本来、「価値観」とは、
古いものから新しいものへ「更新」する、
だけではなく、
 
古いものはそのままで、
新しいものを「追加」していくことも可能なのです。
 
 
 
それが、
「価値観」を拡げる、ということであり、
 
 
人生の選択肢の数を増やし、
自分の可能性を高め、
 
生きることそのものをもっと楽にするのです。
 
 
 
「価値観」に正しい、正しくない、
というものは存在しないのです。
 
 
いかに多くの「価値観」に触れていくかで、
「人生の質」が変わってくるのですから、
 
 
自分の「価値観」に固執し続けるのは、
実に勿体ないことだと思いませんか。