哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

「失敗」の代償

【「失敗」の代償】
 
 
物事が、
最初から「成功」する、
ということは、非常に稀なことで、
 
 
その意味で、
「失敗」するということは、
 
誰もが「経験」することであり、
「必然」のことともいえるのでしょう。
 
 
 
このことは、
私達は、
様々な経験から理解していて、
 
 
 
何か物事に挑戦する時には、
 
「失敗」するかもしれない、
という可能性を、
常に頭の片隅に置いているのです。
 
 
 
つまり、
「失敗」に対しての「認識」を
いつも持っているのです。
 
 
 
 
「失敗」のことを考えてはいけない、
という意見もあるかと思いますが、
 
 
人の思考は、
様々な状況を常に想定していて、
単純に、割り切れるものでもないのです。、
 
 
ですので、
「失敗」することと、
いかに折り合いをつけるか、ということが大事なのです。
 
 
 
 
話が少し逸れましたが、
 
 
「失敗」の「認識」がある、
ということは、
 
実際に「失敗」した時の、
「精神的ダメージ」を軽減するために、
 
様々な「心の準備」もしているのです。
 
 
 
そして、
この「心の準備」の最たるものが、
 
「自分自身への評価を、自ら下げてしまう」
ことなのです。
 
 
 
 
「自分自身への評価」というものは、
そもそも、
 
「自分」でしか出来ないことですし、
 
 
どのように「評価」するのも、
「自分」の思いのまま、
 
 
つまり、
自分に「都合のいい」ように
いくらでも「解釈」出来るものなのです。
 
 
 
 
勿論、
「失敗」したという「事実」を、
「冷静」に、「客観的」に観ることは、
必要なことではあります。
 
 
ですが、
その「失敗」したという「事実」の裏側には、
 
そこでしか得られない「経験」があって、
それが、自分を
今よりも「成長」させるものでもあるのです。
 
 
 
「失敗」の「代償」とは、
新たな「経験」や、
自己の「成長」でしかなく、
 
 
「失敗」したという「事実」
ばかりを捉えて、
 
「自らを貶める」ことと、
結びつける必要はないのです。
 
 
結び付けることさえなければ、
「失敗」への「恐れ」はないはずです。
 

もっと自分の可能性を試していくことが
出来るのです。