哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

感情を選択する【再掲】

 
毎日が、
心配や不安の連続である、という人も多いかと思います。
 
 
 
一寸先も見えず、
この先の自分の人生はどうなってしまうのかと。
 
 
 
 
私達はそうして、
 
心配をすることによって、
想定していた事態を防ごうとしているのかもしれませんし、
 
 
 
もしくは、
想定の事態になったとしても、
 
 
先にその恐怖を味わっておけば、
それ以上の苦しみを味わうことはない、
 
と思っているのかもしれません。
 
 
 
 
 
ですが、
 
そこで、心配しようがしまいが、
起きることは起きてしまっている、という事実もあります。
 
 
 
そうであるならば、
 
同じ出来事であったとしても、
 
心配とは別の感情を選択することも可能ではないか、
ということなのです。
 
 
 
もっと気を楽に、
楽観的に生きることも選択出来るのだから、
 
 
心配や不安を自分の心から締め出し、
 
いま出来ることをやっていくのです。
 
 
 
 
 
生きている限り、何度でも、
心配や不安は湧き上がってくると思います。
 
 
 
ですが、それでも、その度に、
楽観的に生きることを、自分で選択するのです。
 
 
自分の感情は自分が選ぶのです。
 
 

心の平安を取り戻す【再掲】

 
私達は、
誰もが安心で幸せな人生を望んでいます。
 
 
 
 
それは、いつも、
何かしらの不安や不幸な思いを感じていて、
 
 
それらが自分の心を苦しめるから、
 
それを払拭するために、
安心したい、幸せでいたい、と願うのです。
 
 
 
 
安心や幸せを感じたい、というのは、
言い換えれば、
 
心の平安を取り戻したい、ということ。
 
 
 
そして、
心の平安とは、自分に対する信頼そのものでもあるのです。
 
 
 
 
 
自分に対する信頼がないから、
不安であり、不幸な思いを感じるのです。
 
 
 
逆に言うと、
自分に対する信頼さえあれば、
 
 
たとえどのような状況であっても、
不安にも不幸にも、何とも思わないはずなのです。
 
 
 
 
安心や幸せを求めるのは、
自分の中にある信頼を見失ってしまっているからなのです。
 
 
 
自分の外側に、
安心や幸せになるための特別な何かがあって、
 
それを追究することでしか得られない、ということではありません。
 
 
 
 
 
自分への信頼を取り戻すのに、何も特別な事は必要ないのです。
 
 
 
根拠はないのですが、
 
自分は、
これまでも何とかしてきたのですから、
これからだって何とかするはずなのです。
 
 
 
何が起きても大丈夫、なのですから、
 
心の平安をいつでも取り戻すことが出来るのです。
安心や幸せでいることが出来るのです。
 
 

存在としての価値【再掲】

 
人の価値、というのは、
 
誰かのために役に立つか立たないか、
というのが一つの見方としてあるのですが、
 
 
それは、
社会的な価値、であって、
存在としての価値、ではありません。
 
 
 
存在は、
存在すること自体に価値があるので、
 
それ以上の何ものも必要とはしませんが、
 
 
 
私達にとって、
すぐ目の前にあって、
あまりにも当たり前のようになってしまっていて、
 
その存在としての価値に気づいていないのです。
 
 
 
 
私達は、
社会の中にしか、自分、というものを見出せないからです。
 
 
 
ですから、
社会的に認められるために、周囲の評価を得るために、
そのことだけに必死になるのです。
 
 
 
 
勿論、
社会に貢献し、社会に認められることは大事なことです。
 
 
 
 
ですが、その前に、
 
存在としての自分の価値、
というものを知っておかなければなりません。
 
 
 
存在としての価値は、
自分だけが知っていればいいものなので、
 
わざわざ自分に対して、それを証明する必要もありません。
 
 
 
 
 
自分と周囲と比較したり、
周囲のことばかりが気になってしまったり、
 
 
そのことで、
生きることが苦しくなってしまうのも、
 
 
自分の中に、
存在としての価値を感じていないからなのです。
 
 
 
 
この価値は、
何かをすることで得られるものではなく、
元々、自分の中に備わっているもので、
 
それに気づいているかどうか、だけのことなのです。
 
 
 
 
自分がいま、
どのような状況であっても関係ありません。
 
 
 
自分が存在することそのものに、価値があるのですから、
 
 
何があっても大丈夫、ということを忘れてはならないのです。
 
 

自分に言い聞かせる【再掲】

 
苦悩の最中は、
苦しいということだけで、頭がいっぱいになり、
 
 
何も見えないし、何も聞こえない、
何も考えられなくなってしまうものです。
 
 
 
ですが、それでも、
ある時何かに気がついたり、何かの出会いによって、
 
自分の中にきっかけを見出すことが出来るのです。
 
 
 
 
人生は常に動き続けているので、
 
いまこの瞬間に起きていることだけを捉えて、
判断してしまうのは、間違いなのですが、
 
 
悩んでいる時には、それが分からないのです。
 
 
 
 
だから、
理屈ではなく、とにかく自分に言い聞かせるのです。
 
 
「必ず何とかなる」と。
 
 
 
 
何ともならなければ、
ならないなりに何とかなっていくのだから、
 
そこからまた何とかしていくだけのこと。
 
 
 
 
仕事やお金、人間関係、、
失くしたものはすぐには戻ってこないけど、
 
 
自分の気力だけは、
自分次第でいつでも取り戻すことが出来るのです。
 
 
 
 
やる気が戻れば、
問題はほとんど解決したも同然で、
 
 
後は、
いまやれることをやっていくだけなのです。
 
 
 
 
 
過去の終わったことや、将来のことばかりを
背負いこまないで、いまを生きるのです。
 
 
 
たとえ、状況がどうであれ、
これ以上の生き方はありません。
 
 
 
いまを生きること、これだけなのです。
 
 

不公平な人生【再掲】

 
他人の方が、
自分よりも幸せに生きているように、
と思えることは、多々あります。
 
 
 
そして、
それがとても不公平なことであるとも、
思えてしまうものです。
 
 
 
 
しかしながら、
 
幸せであるためには、
その対極にある苦労を知らなければ、
幸せと思うことは出来ません。
 
 
 
 
ですから、
 
幸せしか知らない人というのは存在しないですし、
 
 
幸せそうにしている人も、
周囲からそのように見えているだけであって、
 
その背後には、
計り知れない苦労が隠されているのです。
 
 
 
 
この世界に生きている誰もが、
幸せと苦労の両方を繰り返しているのです。
 
 
 
 
勿論、生まれ育った環境は違いますし、
 
 
一見しただけでは、
やはり人生とは不公平なようにも見えますが、
 
 
幸せと不幸の中にいる、という点においては、
誰もが皆、同じ状態にいるのです。
 
 
 
そういった意味で言うと、
公平だとも言えるのかもしれません。
 
 
 
 
 
そして、
 
自分が、他の誰かになることは出来ませんし、
他の誰かが、自分になり代わることもありません。
 
 
 
どこまでいっても、
自分のことは、自分しか分かりませんし、
他人については、憶測の域を越えることはないのです。
 
 
 
だからもっと、
自分の人生に集中するのです。
 
 
幸せなことも不幸なこともある自分の全ての人生を。
 
 

行動出来ない問題【再掲】

 
行動するためには、
そのための何かしらの思考があって、
 
 
その思考を行動に移すために、
決断というプロセスを、私達は無意識の内に行っています。
 
 
 
決断したのだから、
そこで間髪入れずに行動に移せば、
当然ながら、何も問題はないのですが、
 
 
決断してからも、さらに、
行動するまでに時間が経ってしまうことで、
また元の状態に戻ってしまうということが、
 
 
誰しも経験のあることではないでしょうか。
 
 
 
 
結局のところ、
決断が決断になっていなかった、
というわけなのですが、
 
 
大事なのは、
決断することと同時に、
 
 
その決断した後に、
いかに時間を置くことなく、行動に移せるかどうか、
ということにあるのです。
 
 
 
 
 
そもそも、物事とは、
何事も行動してみなければ分からないもので、
 
 
思考の中で、
あらゆることをシミュレーションしたところで、
何一つはっきりさせることは出来ません。
 
 
 
思考することによって、
様々な可能性を拡げることは出来ますが、
 
 
可能性を拡げる、ということは則ち、
選択肢を増やす、ということでもあり、
 
 
この選択肢が多ければ多いほどいいか、というと、
決してそういうわけでもないのです。
 
 
 
逆に、迷いや恐れの原因となるだけで、
行動に移す時の障害となってしまうのです。
 
 
 
思考することが足かせとなって、
行動に移せなくなる理由の一つでもあるのです。
 
 
 
 
 
そして、
行動出来ないもう一つの理由としては、
 
 
そもそも、
行動することは恐い、ということなのです
 
 
 
何しろ、
行動することこそが自分を変える、のですから、
 
 
自分が自分で居続けようとするために
必要な心の働きなのであって、
 
 
行動することが難しく感じるのは、ある意味、
当然のことなのです。
 
 
 
 
 
行動に移せないでいるのは、
決して、
 
 
精神力が弱いからでもなく、
実行に移す勇気がないからでもなく、
性格の問題でもありません。
 
 
 
個人の資質、特徴という点から、
行動力の有り無し、を問われることもありますが、
 
 
誰もが今も、何かしらの行動をしており、
 
 
基本的に、
私達の誰もが、行動力はあるはずなのです。
 
 
 
たまたま、
行動出来なかった時のパターンを
それこそが自分自身だと認識してしまうかもしれませんが、
 
 
誰も行動出来ない人はいないのです。
 
 
 
 
思考したことを形にするために、
行動することは、確かに難しいことです。
 
 
 
ですが、私達はいつも行動しているのです。
 
 
 
行動することが難しいからといって、
何もしないのではなく、
 
 
それを知った上で行動することが、全てを変えるのです。
 
 

心配の実現可能性【再掲】

 
私達は、普段、
どのようなことを考えているでしょうか。
 
 
 
当然ながら、
眼前にある問題、仕事や家族のことなのでしょうが、
 
 
その中身をよく観てみると、
 
それについての
心配だったり、批判だったりしていることが、
ほとんどなのではないでしょうか。
 
 
 
勿論、
 
より良く生きたいから、
というのが根底にはあるのですが。
 
 
 
 
 
しかしながら、
 
そうやって考えていること自体が、
人生そのもの、でもあるのです。
 
 
 
より良く生きようと、
 
あらゆることに思いを廻らしたり、
もしくは心配していることが、いまの人生なのであって、
 
 
 
これまでも、
さんざん思案したり、心配してきたのに、
 
その、より良い人生というのは、
未だ将来にあって、いまにはないのです。
 
 
 
 
 
心配とは、
 
その思った通りのことが、将来、
本当に実現してしまっては困るから、心配するのであって、
 
 
その心配事が実現しないと分かれば、
そもそも、心配する必要はないのです。
 
 
 
 
私達は、普段、
頭の中で心配事ばかりを考えてはいますが、
 
 
実際に、どれだけのことが、
その通りに実現したことでしょうか。
 
 
 
おそらく、
実際にその通りになってしまったことの方が、
極端に少ないはずなのです。
 
 
 
つまり、
 
心配した事は、
思った通りに実現する可能性は、極端に低いのです。
 
 
 
 
だから、
心配する必要はない、と思いたいところですが、
 
 
人間である以上、それでも、
心配を繰り返してしまうでしょう。
 
 
 
ですが、
 
心配したことが実現する可能性が低い、
ということを信じることが出来れば、
 
 
もっと楽に生きることも出来るのではないかと思うのです。