「常識」と「良識」【再掲】
「常識」とは、
その社会における「共通の感覚」であり、
そこで生きるためには、非常に重要なものです。
ですが、この「共通の感覚」も、
時代や場所においては、むしろ「非常識」でもあり、
常に移り動いていくものなのです。
このような流動的で、ともすれば不安定なものともいえる
「常識」というものを、
私達は無意識の内に、当たり前のように、
「盲目的」に信じてしまっているのですが、
それが故に、
全てを「常識」ありきで、物事を考えてしまい、
自分の人生に対しても、それを当てはめることで、
いつしか「臆病」になってしまうのです。
ところが、人生というのは、
常に「挑戦」によってのみ切り開かれていくものであって、
「臆病」になって、
何も「挑戦」しようとしないのは、
人生を「停滞」させるどころか、「後退」することにもなるのです。
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「常識人」が「常識」を無謬のものとして受容し、
「常識」を盾にして「非常識を断罪」するのに対し、
「常識」に対して「疑問」を持てる「智慧」こそが、
「常識」の「上位概念」である「良識=りょうしき」
なのである。
(三木清)
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私達は、
「常識」の世界に生きながらも、
その「常識」を疑うだけの「良識」を常に持ち続けるべきで、
自らの「良識」を疑うことなく、信じることが、
自分の人生を切り開いていくのです。