哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

年末にあたって

 
本年も、
大変お世話になりました。
 
 
 
何か自分を変える
「きっかけ」を得ようと、
 
 
今年の一月より、
自分の考えや思うところを
いろいろと発信してまいりました。
 
 
 
 
投稿をご覧になられた皆さんにとって、
 
 
ご自身の中で、
少しでも、
何かの「ヒント」や「きっかけ」になればとも、
思っていますが、
 
 
何より、
「発信者本人」にとって、
 
 
いろいろ考える、
よい「機会」でもありました。
 
 
 
 
 
来年に向けての「課題」も、
いろいろとありますが、
 
 
またよりよい一年を過ごせるように、
 
 
今後も「前向き」に、
取り組んでいきたいと思います。
 
 
 
 
一年間、
どうもありがとうございました。
 
 
 
これからも引き続き、
よろしくお願い致します。
 
 

いつでも「何とかする」

 
「今年」も、
あと残り「僅か」となりました。
 
 
 
「今年」一年、
誰にとっても、
いろいろなことがあったかと思います。
 
 
 
 
楽しいことや嬉しかったこと、
苦しいことや辛いこと、等々、、
 
 
人それぞれに、
様々にあったことでしょう。
 
 
 
 
そして、
紆余曲折、
どのような形であれ、
 
 
私達は、
ここまで「何とかやってきました」。
 
 
 
 
それは、
私達自身が、それぞれに、
 
ここまで「何とかしてきた」からに、
他なりません。
 
 
 
 
 
「来年」もまた、
 
様々なことが、
私達に訪れることでしょう。
 
 
 
 
 
まだ見ぬ「未来」は、
 
 
期待や楽しみ、
でもあり、
 
不安や恐怖、
でもあるのです。
 
 
 
 
ですが、
 
私達には、
どのような事があっても、
 
 
「何とかする」ことが出来るのです。
 
 
 
これまでも、
「何とかしてきた」のですから、
 
 
この先も、
「何とかする」ことが出来るのです。
 
 
 
 
 
 
私達にとって、
 
「来年」とは、一体、
どのような一年となるのでしょうか。
 
 
 

「選択」と「行動」

 
私達は、
毎日毎日、一瞬一瞬を、
 
 
常に、
何かの「選択」に迫られています。
 
 
 
 
そして、
それが、
どのような「些細」なものであっても、
 
 
その、
たった一つの「選択」が、
 
 
その後の自分の「人生」に、
大きく「影響」を及ぼす可能性があることは、
誰もが、理解していることだと思います。
 
 
 
 
その「選択」は、
「一度」きりで、
やり直すことも出来ない、
 
 
 
だからこそ、
常に「真剣」勝負で、
 
 
いかなる状況においても、
 
 
自分がベストだと思う「選択」
をしなければならないのです。
 
 
 
 
そして、
「真剣」に「選択」したからこそ、
 
 
その「選択」が、
 
「誤りではない」、
 
ことを証明するために、
 
 
 
私達は、
必死で「行動」し、
結果を出そうとするのです。
 
 
 
 
 
勿論、
よりよい「選択」をとることが、
重要なことです。
 
 
 
ですが、
その「選択」したことを、
生かすも殺すも、全ては、
 
 
その後の、
「行動」に掛かっているのです。
 
 
 
 
「選択」の正しさは、
「行動」で示されるのです。
 
 
 
「行動」することで、はじめて、
私達の「選択」は正しいものになるのです。
 
 

自分に「風穴」を穿つ

 
何かを「変える」ためには、
 
 
いつもと「同じ」ことばかり
していてもダメで、
 
 
何も「変える」ことは出来ません。
 
 
 
いつもと「違う」何かを、
しなくてはならないのです。
 
 
 
 
一方で、
 
私達の日常の、そのほとんどは、
「同じ」ようなルーチンで構成されていて、
 
 
そのルーチンを
こなすことばかりで、
 
 
それだけで、
自分の「やれることはやった」、と、
 
 
「自己満足」
に陥りがちになってしまうのです。
 
 
 
 
 
何かを「変えたい」
という思いがある一方で、
 
 
日々のことで、
「自己満足」に陥ってしまい、
これ以上、何も行動が出来なくなる、
 
 
そして、
いつまでたっても、
「同じ」自分のまま、
何も変わることがない。
 
 
 
 
これが、
多くの人にとっての、
「悩み」なのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
繰り返しになりますが、
 
 
どんなに、有意義で、
素晴らしいルーチンであったとしても、
 
 
いつもと「同じ」では、
 
結局のところ、
何も「変わらない」のです。
 
 
 
 
貴方は、本当に、
今のままでいいのですか。
 
 
 
自分に対して、
何の「不満」もありませんか。
 
 
 
何か一つでもいいのです。
 
 
いつもと「違う」ことを、
自分に「強制」させるのです。
 
 
 
こればかりは、
他人では、
どうにも出来ないのですから、
 
 
自分が、
どうにかするしかないのです。
 
 
 
 
ほんの些細でもいいので、
きっかけを作るのです。
 
 
 
自分の中に、
小さな「風穴」を穿つのです。
 
 
その「風穴」が、
やがて大きなものとなり、
 
 
貴方を含め、
貴方の周りにも、
影響を与えることになるのです。
 
 

「自分」を救えるのは「自分」だけ

 
自分自身を救うことが出来るのは、
「自分」だけです。
 
 
 
「他人」を当てにすることは出来ません。
 
 
 
もしかしたら、
 
貴方を、本気で助けようと、
手を差し伸べてくれる周囲の人もいるかもしれません。
 
 
ですが、
問題を解決するためには、必ず、
 
「自分」の行動が必要で、
 
 
 
「自分」のことは、
「自分」にしか助けることが出来ず、
 
 
誰も、
「他人」を助けることは出来ない、
のです。
 
 
 
最後の最後まで、
面倒を見れるのは、
「自分」しかいないのです。
 
 
 
 
 
 
周囲の人から、
アドバイスを貰うことは出来ます。
 
ネットや書籍で、
必要な情報を得ることも出来ます。
 
 
 
ですが、
それを実行し、解決するのは、
 
「貴方」自身である、
ということなのです。
 
 
 
 
 
行動も起こさずに、
助けを得ること自体、難しいでしょう、
 
 
仮に、
助けを得られたとしても、
 
その後、
解決に向けて、
「自分」が動かなければ、
 
 
やはり、
何も変わらないのです。
 
 
 
自分の「行動」、なくして、
何かを変えることは出来ない、
ということなのです。
 
 
 
 
繰り返しになりますが、
 
 
自分自身を救えるのは、
「自分」だけです。
 
 
そして、
自分自身を救うことは、
必ず、出来るのです。
 
 

「結果」に踊らされない

 
何かをすれば、必ず、
何かしらの「結果」が出ます。
 
 
 
そして、
その何かしらの「結果」を求めて、
努力をするわけなのですが、
 
 
思い通りの「結果」が得られない、
というのも、
よくあることかもしれません。
 
 
 
 
能力が不足していたり、
必要な努力がなされていなければ、
 
 
「結果」が得られないのも、
当然ではあるのですが、
 
 
 
それでもうまくいかないのは、
 
そこには、
自分以外の要素が、
大きく関係しているからなのです。
 
 
 
 
いわゆる、
「運」や「タイミング」、
「周囲の思惑」等の要素です。
 
 
 
寧ろ、
これらの要素が大半を占めており、
 
 
あらゆる物事は、
自分の力では、どうにもならないことばかり、
なのかもしれません。
 
 
 
 
それを踏まえると、
 
 
「結果」にこだわりを持つ、
ということ自体、
勿論、大事なことではあるのですが、
 
 
一方で、
 
「結果」に踊らされている、
ということでもあるのです。
 
 
 
 
「結果」という、
理不尽で、不確定要素の固まりに対して、
 
 
私達は、
あまりにも、
固執し過ぎる(せざるを得ない)状況に、
陥ってしまっているのではないでしょうか。
 
 
 
「結果」を手放しで考えるわけにもいきませんが、
 
 
「結果」ばかりに囚われて、
 
 
結果的に、
自分自身を苦しめてしまう、
ということを、
改めて、認識する必要があるのだと思うのです。
 
 

「誰」の「基準」で生きるのか

 
人は、誰もが、
 
自分で「思考」して「行動」する、
「自由」を持っています。
 
 
 
自分が考えて、
「判断」したのだから、
それでいいわけであって、
 
 
本来、そこに、
他人が入ってくる余地は、
どこにもないのです。
 
 
 
 
ですが、実生活における
仕事やプライベート等、
人生における全ての場面においては、
 
 
あらゆることで、
他人との比較や、
他人の意見や評価ばかりが求められ、
 
 
 
当然ながら、そこには、
自分の「思考」や「判断」は
必要とされることもなく、
 
 
自ら、
その「自由」を放棄してしまうのです。
 
 
 
 
そして、
他人より優位でいたり、
他人から認められることばかりが、
 
 
一つの「判断基準」となり、
 
 
自分自身の「存在価値」も、
そこにしか認めることが、
出来なくなってしまうのです。
 
 
 
 
そもそも、
自分の「存在価値」は、
自分が決めればいいだけなのに、
 
 
そこに、自分ではない、
他人の「判断基準」が、
「介入」してくるのです。
 
 
 
 
 
他人からの批判が怖いのも、
 
他人を羨ましく思うのも、
 
他人が自分の思い通りにならなくて、
苛立つのも、
 
 
全て、
「思考」や「判断」の「基準」が、
「他人」にあるからに他ならないのです。
 
 
 
 
「他人」の「基準」のままでいるから、
 
生きることが苦しかったり、
生き辛くなってしまうのです。
 
 
 
 
ですので、
 
これ以上、
「他人」の「基準」でいるのはやめませんか。
 
 
 
私達には、
自分の思った通りに生きる「自由」があるのですから。