「誰」の「基準」で生きるのか
人は、誰もが、
自分で「思考」して「行動」する、
「自由」を持っています。
自分が考えて、
「判断」したのだから、
それでいいわけであって、
本来、そこに、
他人が入ってくる余地は、
どこにもないのです。
ですが、実生活における
仕事やプライベート等、
人生における全ての場面においては、
あらゆることで、
他人との比較や、
他人の意見や評価ばかりが求められ、
当然ながら、そこには、
自分の「思考」や「判断」は
必要とされることもなく、
自ら、
その「自由」を放棄してしまうのです。
そして、
他人より優位でいたり、
他人から認められることばかりが、
一つの「判断基準」となり、
自分自身の「存在価値」も、
そこにしか認めることが、
出来なくなってしまうのです。
そもそも、
自分の「存在価値」は、
自分が決めればいいだけなのに、
そこに、自分ではない、
他人の「判断基準」が、
「介入」してくるのです。
他人からの批判が怖いのも、
他人を羨ましく思うのも、
他人が自分の思い通りにならなくて、
苛立つのも、
全て、
「思考」や「判断」の「基準」が、
「他人」にあるからに他ならないのです。
「他人」の「基準」のままでいるから、
生きることが苦しかったり、
生き辛くなってしまうのです。
ですので、
これ以上、
「他人」の「基準」でいるのはやめませんか。
私達には、
自分の思った通りに生きる「自由」があるのですから。