哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

「ポジティブ」でいるために

誰でも、常に、
「ポジティブ」な気分でありたいものですが、
 
 
人の「気分」というのは、
ほんの「些細な」ことで、
「簡単に」変わってしまうものでもあります。
 
 
 
「成功」したり、
自分の思い通りになったり、
ラッキーなこと、
 
が続けば、
「ポジティブ」でいられるでしょうが、
 
 
 
そんな人でも、逆に、
 
「失敗」したり、
自分の思い通りにならなかったり、
不運なことばかり
 
が少しでも続いてしまえば、
一瞬で、
「ネガティブ」に早変わりしてしまうのです。
 
 
 
勿論、
個人の「気質」や「性格」
によるところもありますが、
 
 
総じて、
人の「感情」や「気分」というのは、
 
何かしらの「結果」に応じて、
「左右」されてしまいがちなのです。
 
 
 
つまり、
「結果」に「焦点」を当ててしまうから、
苦しくなってしまうのです。
 
 
その「結果」に、
自分の「感情」や「気分」を
コントロールされてしまうのです。
 
 
 
勿論、
「結果」は大事なことですし、
「結果」なしに、物事は成立しません。
 
 
 
ですが、本来、
自分の「感情」や「気分」は、
自分が決めるもの。
 
 
 
何が起こるか分からない「結果」に、
自分の「感情」や「気分」を
委ねるべきではないのです。
 
 
 
 
いつでも「ポジティブ」に、
気分よくいるのです。
 
 
それには、
自分が「そうする」と、
 
そのように決めるだけなのです。
 
 

「未知なる」世界

今の世の中は、
たくさんの便利なものに、
囲まれてはいるものの、
 
 
まだまだ、自分の、
「知っている」世界というのは、
ごく「僅か」で、「狭い」範囲でしかなく、
 
 
そして、
その「僅か」で、「狭い」世界の中を、
生きなければならず、
 
 
 
私達は、誰もが、
この世界のことを、ほとんどよく、
 
「知らない」
とも言えるのです。
 
 
 
 
勿論、
それでも生活に困ることはありませんし、
世界は回り続けています。
 
 
 
 
ですが、
「知っている」と「知らない」、とでは、
 
全てにおいて、
「雲泥の差」があるということは、
 
誰もが「認識」していることでしょう。
 
 
 
 
自分の、
「知っている」ことばかりに、囚われたり、
自分の、
「見たい」ものしか、見なければ、
 
 
 
自らの「可能性」そのものを、
「見誤って」しまうこともあるのです。
 
 
 
もはや、
自分の「知らない」ことに、
「諦めて」しまってはいませんか。
 
 
 
「未知なる」ものは、
全てが、自分の「可能性」なのですよ。
 
 

「避けられない」もの

気を付けていれば、
全く「問題」にはならないのに、
 
 
ほんの一瞬の「気の緩み」等から、
「失敗」や「ミス」をしてしまうことは、
 
誰にとっても、
覚えのあることだと思います。
 
 
 
その「失敗」や「ミス」自体は、
ほんの「些細な」ものではあるのですが、
 
 
時に、
大きな「問題」や「事故」に、
繋がることもあるので、
 
軽視すべきことではないのですが、
 
 
 
一方で、
それだからといって、
全てのことに「注意」を払い、
 
 
絶対に「失敗」や「ミス」をしない、
というのも、
限りなく「不可能」で、
 
 
「避けられない」ものなのです。
 
 
 
 
それにも拘わらず、
「失敗」や「ミス」することばかりに、
気を取られ、
 
 
そのことで、
自分で自分を苦しめていたりはしませんか。
 
 
 
「失敗」や「ミス」は、
次なる「成長」への必要な「ステップ」であって、
 
「成功」へまた一歩、近づいた、
ということなのですよ。
 
 

「問題」はシンプルに

「問題」とは、
容易に「解決」出来ないからこそ、
「問題」であって、
 
 
その「解決が難しい」という思い込みが、
 
本来の「問題」の中身以上に、
「解決」を「難しく」、
させる要因でもあるのです。
 
 
そして、
「解決」への糸口が見つからなければ
なかなか手を出すことも出来ず
 
「時間」ばかりが過ぎ去っていくだけなのです。
 
 
更に、
「問題」は、「時間」が経てば経つほどに、
より難儀なものへと、「変化」していくもので、
何かしら手を打たないことには、はじまらないのです。
 
 
 
 
 
実のところ、
難しい「問題」とは、
 
「単純」な事案が、「複雑」に絡み合っている、
というケースがほとんどで、
 
一つ一つの事案だけを見れば、
それほど難解な「問題」ではないはずなのです。
 
 
 
私達は、
イメージの中で勝手に、
「難しい」という「虚像」を作り上げているに、
過ぎないのです。
 
 
 
本来、
「問題」となるものを作り出したのは、
私達自身であるのですから、その私達自身が、
「解決」出来ないことはないのです。
 
 
 
「問題」の本当の姿は、
実に「単純」で、「シンプル」なのです。
 
 
 
もっと「シンプル」に置き換えてみましょう。
全ては「シンプル」に「解決」出来るのです。
 
 

「特別」な日

個人的なことではありますが、
本日、「誕生日」を迎えました。
 
 
 
ある程度の年齢にもなり、
 
子供の頃のような感動も、もはや、
感じることはありませんが、
 
 
それでも、
一年の中で、
「特別な日」であることには変わりなく、
 
 
これまで、
生きてこれたことに対し、ただただ、
「感謝」するばかりです。
 
 
 
 
とはいえ、まだまだ、
人生を「模索」し続けている状況
ではあります。
 
 
 
そのような状況ではありますが、
今以上に、
 
 
「生きる」
ことに対して、
 
「真摯」で「前向き」な気持ちを
忘れることなく、
これからも過ごしていきたいと思います。
 
 

自分の「問題」

誰しも、
何かしらの「問題」や「悩み」を
抱えているものです。
 
 
 
そして、
これらの「問題」というのは、
 
 
簡単に「解決」出来るものではないから、
「問題」なのであって、
 
 
「既存」の「知識」や「学問」、
といったもので、
どうにか出来るものでもないのです。
 
 
 
 
全ての「問題」が、
「新しく」、「未経験」なわけですから、
 
 
「解答」というものが、
どこかにあるわけでもなく、
 
 
自らが「解決方法」を編み出していくしかないのです。
 
 
 
そのためには、
とにかく、自分で、
 
「考える」こと、
「試す」こと、
 
を繰り返し続けなくてはならないのです。
 
 
 
 
 
それにも拘わらず、
 
「解答」がどこかにあると信じて、
 
自分で、
「考える」ことも、
「試す」こともせずに、
 
 
ただひたすらに、
他人の情報を探し求めてはいないでしょうか。
 
 
 
 
自分の「問題」なのですから、
自分が「何とかしなければ」、
 
 
何も「解決」には至らないのです。
 
 
 
 
自分の周囲に起きた「出来事」は、
全て、自分が「創り出した」ものでもあるのです。
 
 
 
自分が、
「創り出した」問題なのですから、
自分で、
「解決」するしかないのです。
 
 
自分で「解決」する「意志」が必要なのです。
 
 

「感情」に囚われない

私達は、
何事を行うにしても、必ず、
 
その行ったことについて、
「省みる」
 
ことをします。
 
 
良かった点や悪かった点、
見直すべき点、
 
 
心の中で、様々なことを
「振り返り」、そして、
「分析」をし、
 
 
次の行動のための「準備」をします。
 
 
 
 
「省みる」ことにおいて、
最も重要なのは、
 
 
その起きた結果を、
「客観的」に観ることです。
「冷静」に捉えることなのです。
 
 
そして、それによって、
次の「行動」に繋げるのです。
 
 
 
 
 
しかしながら、
起きた結果に対しては、必ずといっていいほど、
「感情」がつきまとうもので、
 
 
時として、
この「感情」が、
物事を「客観的」に観ることにおいては、
「不要」で、「邪魔」になるのです。
 
 
 
「感情」は、
人の持つ「生理的反応」であって、
「抗う」ことは出来ません。
 
 
 
ですので、
「感情」を「ありのまま」に、
受け止めざるを得ないのですが、
 
 
 
「感情」に支配されて、
その次の「行動」までも、
コントロールされてはいけないのです。
 
 
 
 
「自分が悪かった」というように、
 
「後悔の意識」に囚われてばかりでは、
何も「変わらない」のです。
 
 
 
全ての「行動」は、
次の「行動」のための「準備」に過ぎないのです。
 
 
 
「後悔」するほどの「思い」があるのならば、
それを糧に、
次の「行動」で「払拭」するしかないのです。
 
 
 
「感情」に囚われてはいけないのです。
「感情」を次に活かすのです。