哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

「不安」と「困惑」と【再掲】

私達は、何事を行うにも、
常に、
「不安」と「困惑」が付き纏ってくるものです。
 
 
 
そして、
これらの問題は、
 
何かを「やっている」時にだけ、
あるものでなく、
 
 
逆に、
何も「やらなかった」としても、
それは、別の形で沸き起こってくるもので、
 
 
 
つまり、
 
何かをしようが、しまいが、
関係なく、
 
「不安」や「困惑」から、
解放されることはないのです。
 
 
 
 
生きている限り、
 
「不安」や「困惑」とは、
向き合い続けなければならないのです。
 
 
「乗り越え」続けなければならないのです。
 
 
 
そうであるならば、
 
もっと前向きに、
「乗り越えて」いくしかないのではないでしょうか。
 
 
 
自分の「選択」した生き方を。
 
 

「意識的」に生きる【再掲】

私達は、
誰もが日々の生活の中で、
「行動」をしています。
 
 
 
ただ、
そのほとんどは、
ルーティン、習慣となっているもので、
 
 
「無意識的」な「行動」ばかりが、
多くを占めてしまっているのではないでしょうか。
 
 
 
 
「行動」することが、何よりも大事、
 
とは、よく言われることではあり、
確かに、その言葉の通りだと思います。
 
 
 
この世は、
「行動」、「経験」することでしか
得ることの出来ないものばかりだからです。
 
 
 
ですが、当然ながら、
その「行動」というのは、
「意識的」なものでなければ、あまり意味はなく、
 
 
「意識的」に「行動」することで得られる、
「感覚」こそが、貴重なものなのです。
 
 
 
 
「知る」ということは、
「感覚」や「体感」が必要です。
 
 
 
どんなに「知識」を身に付けたとしても、
「感覚」や「体感」のないものは、
 
本当の意味で、
「知る」ことにはなりません。
 
 
 
 
もっと、
「意識的」に「行動」してみましょう。
 
普段の何気ない中にも、
 
生きるための「ヒント」が、
そこにあるのかもしれません。
 
 
 

自分にとっての「真実」【再掲】

私達は、
「経験」を通じてでしか、
 
何も知ることは出来ず、
何も得ることは出来ません。
 
 
 
たとえ、
同じ「経験」をしたとしても、
当然ながら、
人によって「感じ方」は様々で、
 
 
何を「感じる」かこそが、
その人の「個性」、「本質」であり、
 
 
さらに言うと、
その人にとっての「真実」なのです。
 
 
 
 
本やネットでの情報、
人から伝え聞いたもの、というのは、
 
 
どこまでいっても、
 
その「発信」した人にとっての
「真実」でしかなく、
 
 
自分にとっての
「真実」であるとは、限りません。
 
 
 
そして、
同じ自分であっても、
「状況」が変われば、
「感じ方」も変わるものですが、
 
 
それも、それぞれが
「真実」であることには変わりはないのです。
 
 
 
 
「真実」は、人の数だけある
といってもいいのかもしれません。
 
 
そこに「不正解」というものはなく、
全てが「正解」なのです。
 
 
 

全ては「小さな行為」から【再掲】

私達は、
個人個人それぞれに、
何かしらの「目標」や「夢」があって、
 
それに向けて、
日々、取り組んでいるわけなのですが、
 
 
 
その対象となるものが、たとえ、
どのような「規模」のものであろうとも、
 
 
それらの全ては、
小さく「細分化」されたものの
「集まり」であって、
 
 
 
それはつまり、
どのような「目標」や「夢」であっても、
 
 
全ては、
「小さな行為」を「積み重ねる」、
 
ということにあるのです。
 
 
 
「小さな行為」自体そのものは、
ほとんど「影響」を与えるものではないかもしれません。
 
 
 
ですが、
これを「積み重ねる」ことによって、はじめて、
大きな「力」となり、
 
 
また、
「積み重ねる」ことでしか、
大きな「影響力」を持つことは出来ないのです。
 
 
 
 
 
私達が取り組んでいる、
日々の「努力」というのは、
 
まさに、
この「小さな行為」なのです。
 
 
 
 
「積み重ねる」ことが、重要なのは、
言うまでもなく、
当たり前のことかもしれません。

  
 
ですが、
ここを「蔑ろ」にしていては、
 
「何も成すことは出来ない」、
というのもまた事実なのです。
 
 
全ては、
「小さな行為」からはじまるのです。
 
 
 

「ポジティブ」でいるために【再掲】

誰でも、常に、
「ポジティブ」な気分でありたいものですが、
 
 
人の「気分」というのは、
ほんの「些細な」ことで、
「簡単に」変わってしまうものでもあります。
 
 
 
「成功」したり、
自分の思い通りになったり、
ラッキーなこと、
 
が続けば、
「ポジティブ」でいられるでしょうが、
 
 
 
そんな人でも、逆に、
 
「失敗」したり、
自分の思い通りにならなかったり、
不運なことばかり
 
が少しでも続いてしまえば、
一瞬で、
「ネガティブ」に早変わりしてしまうのです。
 
 
 
勿論、
個人の「気質」や「性格」
によるところもありますが、
 
 
総じて、
人の「感情」や「気分」というのは、
 
何かしらの「結果」に応じて、
「左右」されてしまいがちなのです。
 
 
 
つまり、
「結果」に「焦点」を当ててしまうから、
苦しくなってしまうのです。
 
 
その「結果」に、
自分の「感情」や「気分」を
コントロールされてしまうのです。
 
 
 
勿論、
「結果」は大事なことですし、
「結果」なしに、物事は成立しません。
 
 
 
ですが、本来、
自分の「感情」や「気分」は、
自分が決めるもの。
 
 
 
何が起こるか分からない「結果」に、
自分の「感情」や「気分」を
委ねるべきではないのです。
 
 
 
 
いつでも「ポジティブ」に、
気分よくいるのです。
 
 
それには、
自分が「そうする」と、
 
そのように決めるだけなのです。
 
 

「未知なる」世界【再掲】

今の世の中は、
たくさんの便利なものに、
囲まれてはいるものの、
 
 
まだまだ、自分の、
「知っている」世界というのは、
ごく「僅か」で、「狭い」範囲でしかなく、
 
 
そして、
その「僅か」で、「狭い」世界の中を、
生きなければならず、
 
 
 
私達は、誰もが、
この世界のことを、ほとんどよく、
 
「知らない」
とも言えるのです。
 
 
 
 
勿論、
それでも生活に困ることはありませんし、
世界は回り続けています。
 
 
 
 
ですが、
「知っている」と「知らない」、とでは、
 
全てにおいて、
「雲泥の差」があるということは、
 
誰もが「認識」していることでしょう。
 
 
 
 
自分の、
「知っている」ことばかりに、囚われたり、
自分の、
「見たい」ものしか、見なければ、
 
 
 
自らの「可能性」そのものを、
「見誤って」しまうこともあるのです。
 
 
 
もはや、
自分の「知らない」ことに、
「諦めて」しまってはいませんか。
 
 
 
「未知なる」ものは、
全てが、自分の「可能性」なのですよ。
 
 

「避けられない」もの【再掲】

気を付けていれば、
全く「問題」にはならないのに、
 
 
ほんの一瞬の「気の緩み」等から、
「失敗」や「ミス」をしてしまうことは、
 
誰にとっても、
覚えのあることだと思います。
 
 
 
その「失敗」や「ミス」自体は、
ほんの「些細な」ものではあるのですが、
 
 
時に、
大きな「問題」や「事故」に、
繋がることもあるので、
 
軽視すべきことではないのですが、
 
 
 
一方で、
それだからといって、
全てのことに「注意」を払い、
 
 
絶対に「失敗」や「ミス」をしない、
というのも、
限りなく「不可能」で、
 
 
「避けられない」ものなのです。
 
 
 
 
それにも拘わらず、
「失敗」や「ミス」することばかりに、
気を取られ、
 
 
そのことで、
自分で自分を苦しめていたりはしませんか。
 
 
 
「失敗」や「ミス」は、
次なる「成長」への必要な「ステップ」であって、
 
「成功」へまた一歩、近づいた、
ということなのですよ。