哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

期待されるということ

普段、
誰かを応援したりする時に
(もしくは挨拶的な意味でも)、
 
「期待しています」
 
という言葉を使うことはよくあるだろう。
 
 
そして、
「期待」されている方は、
その期待に出来るだけ応えようと、力を尽くすことであろう。
 
 
期待に応えようと力を尽くすのだから、
モチベーションも上がり、より良い結果が生まれやすい、
だろう。
 
 
だが、
気をつけなくてはならないのは、
 
「期待」されることによって、
その人の行動や思考を制限させてしまうこともあるということだ。
 
 
例えば、
 
子供は親の期待を感じ取り、
その期待に応えるべく頑張ろうとする。
 
その結果、
何をするにも親の言うがままで、ついには、
自分がどうしたいのか、
自分で考えることや選択することも出来ず、
その意志すら見失ってしまうのである。
 
 
他人から「期待」されるということは、
それだけ強い影響力を持ち得ているのである。
 
  
それ故、
「期待」された方も、
 
自分のために、
その「期待」に応えないことも出来る、
 
ということを、
選択肢の一つとして常に頭に入れておくべきなのである。
 
  
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期待は他人の行為を拘束する魔術的な力をもっている。
我々の行為は絶えずその呪縛のもとにある。
道徳の拘束力もそこに基礎をもっている。
他人の期待に反して行為するということは、
考えられるよりも遥かに困難である。
 
時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ。
世間が期待する通りにならうとする人は、
遂に自分を発見しないでしまうことが多い。
秀才と呼ばれた者が平凡な人間で終るのはその一つの例である。
三木清
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