「鈍感」でいること【再掲】
私達には、どうしても、
周囲の事に、
「敏感」になり過ぎることで、
疲弊してしまうこともあります。
直接、
自分とは関係のないことであっても、
自分の事として、
「受け止めて」しまうのです。
一方で、
たとえ、
自分の周囲の出来事であっても、
全て、
自分事としての「視点」を持つ、
ということも、
生きる上においては、
大事なことではあるのですが、
冒頭の、
自分事として「受け止める」
こととは、
全く「別」である、
ということを認識しておく必要はあるでしょう。
言葉のニュアンスは、
近いかもしれませんが、
自分事の「視点」を持つ、
というのは、
あくまで、
「客観的」な見方であるのに対し、
自分事して「受け止める」のは、
「主観的」な見方であり、
両者の見方は、
全く異なるのです。
そして、
「主観的」に見てしまうからこそ、
周囲からの影響も受けやすくなり、
どんな些細なことであろうとも、
周囲と同じように、
同情したり、驚いたり、悲しんだり・・
「同調」することで、
自分の心も囚われてしまうので、
冷静な判断も出来なくなるでしょう。
更に、
本来、
自分が影響を受ける必要のない、
ことのはずだったのに、
結果的に、
自分を苦しめることにもなるのです。
私達は、
社会や周囲に適応するために、
それらに対し、
「敏感」にならざるを得ない、
のですが、
いつの間にか、
それでいることが、
当たり前になってしまい。
自らを、
「窮屈」にさせてしまっているのです。
そして、
それでいることによって、
「ゆとり」や「余裕」すらも
失わせてしまうことになるのです。
全てにおいて、
「気にしすぎ」なのです。
私達は、周囲に対して、
もっと意識的に、
「鈍感」にならないといけないのです。
「鈍感」でいるからこそ、
誰にも、何事にも、
揺さぶられることもありません。
本来の、
自分自身でいることが出来るのです。