「誰」のための「人生」【再掲】
私達の「人生」は、
一寸先も未知で、
何が起きるか分かりません。
明日さえも、
どうなっているかは分からないのです。
生きている「保証」さえもないのです。
それなのに、
何をそんなに、
「躊躇」ばかりしているのでしょう。
何をそんなに、
「遠慮」しているのでしょう。
もっと、
「思い切り」やってみればいいのに、
「今日」、
やらなかったことは、
「明日」は、
もう出来ないのかもしれないのです。
また、
やるには、
まだ「早い」から、
やるには、
まだ能力が「不足している」から、
と、自らを「過小評価」し、
やらない言い訳ばかりをして、
それで「満足」なのでしょうか。
誰かから言われたことだけ、
やっていても、
それは、
ただの「手足」や「道具」であって、
「奴隷」でしかないのです。
そして、
自らの「意志」で「行動」することなく、
良いことが転がり込んでくるほど、
「人生」は「甘い」ものでもないはずです。
いったい、
「誰」のための「人生」でしょうか。
私達は、本来、
もっと「自分」に対し、
正直に、貪欲に、思うままに、
「生きて」いいはずなのです。
私達は、
「自分」の「人生」を生きるために、
ここにいるのです。