「非効率的」でいること【再掲】
私達の住むこの世界は、
常に「便利」なものや、「効率的」なものを求めて、
日々、進化しています。
反対に言うと、
「非効率的」なものを、極力排除しよう、
ということでもあるのです。
確かに、
限りある「時間」を有効に活用する、
という点においては、
「効率性」を求めることは、
いわば「必然」ともいえるでしょう。
ですが、
物事というのは、全てが「一長一短」。
その排除してしまった「非効率的」なものに、
何も得るものがないかと言えば、
決してそういうことはなく、
その「非効率的」な試みや努力を
行うことでしか得ることの出来ない、
「気づき」や「学び」
が、必ずあるのです。
「気づき」や「学び」に、
「不要」なものというものは、存在せず、
全てが
自分の中での得難い
「経験」であり、「財産」なのです。
「効率的か、非効率的か」、
という「視点」というのは、
有用な「考え方」の一つでもあるのですが、
この「視点」ばかりに囚われてしまうと、
見えるものも、見えなくなり、
得られるものも、得られなくなってしまう、
ということでもあるのです。