哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

不都合な出来事

 
誰にとっても、
 
自分に不都合な出来事はあるもので、
それを忘れてしまいたいという思いを持っていると思います。
 
 
 
過去の苦しい思いを解放し、未来に向かうために、
そして、常に新鮮な自分でいるために忘れたいのです。
 
 
 
 
自分にとって不都合なことを、忘れることが出来るのならば、
生きることがどれだけ楽になるのか、計り知れません。
 
 
 
逆に言うと、
 
生きることを苦しくさせてしまっているのは、
忘れられないからでもあるのです。
 
 
 
 
ですが、誰にとっても、
 
忘れようとしても忘れられないことというのは、
少なからずあるものです。
 
 
 
自分では忘れたいと思っている一方で、
 
 
その不都合な出来事を、
ことあるごとに思い返してしまうことで、
嫌な思いをより強固なものにしてしまっているのです。
 
 
 
 
そして、
忘れるためには時間が必要、ともいいますが、
時間だけが解決してくれるものでもありません。
 
 
 
一旦、記憶の彼方に追いやったつもりでも、
何かの拍子に、表面化してくることもあるのです。
 
 
 
忘れられないことは、
どうあっても忘れられるものではないのかもしれません。
 
 
 
ですから、無理に忘れようとする必要はないのです。
 
 
 
 
 
問題なのは、
不都合な出来事を忘れられない、のではなく、
 
 
自分がその出来事を、
苦しい思いのするもの、として解釈してしまうことにあるのです。
 
 
 
 
起きた出来事は一つではありますが、
そこには常に、複数の見方があって、
 
 
どのような見方をするかで、解釈の仕方も異なるのです。
 
 
 
 
判断を誤ったり、失敗をしてしまった出来事は、
 
どうしても、
その瞬間に起きたマイナスの部分だけを捉えてしまいがちですが、
 
 
判断を誤ったからこそ、失敗したからこそ、
見えてくるものもあるのです。
 
 
 
いわば、成功のための一つのプロセスであり、
 
 
この経験が、
ただの嫌で忘れてしまいたい出来事ではなく、
 
 
今後の成功の鍵を握っている重要な出来事、
とも言えるのです。
 
 
 
 
自分にとっての忘れられない出来事、不都合な出来事は、
 
 
全て自分のための出来事、という見方もあるということなのです。