哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

気分と信念

 
誰でも、いつでも、
「いい気分」でいたいものですが、
 
普段の日常を送っている中では、
そうでない時のほうが、多いのかもしれません。
 
 
 
 
私達が、
「いい気分」でいられないのは、
 
 
ストレスや不安、悩み等、
心を苦しくさせる様々な要因がありますが、
 
一言で言うと、
 
 
心のどこかで、
「恨み」の感情を抱えているからに、他なりません。
 
 
 
 
「いい気分」にするためには、
この「恨み」の感情を手放すことが必要で、
 
そのために、
「赦し」というものが必要になってくるのです。
 
 
 
 
言葉のニュアンスでいうところの、
この「赦し」とは、
 
 
寛大な気持ちを持つ、我慢する、目をつぶる・・・
 
というイメージが強いのですが、
 
 
実際のところ、
そのようにやろうとしても、
 
どこかで無理をしていたり、
心の底では、赦せていなかったりするのです。
 
 
 
 
 
そもそも、
「恨み」という感情は、
 
元を辿れば、
 
 
自分は何も悪くはないのに、、
周囲のせいで被害を被ってしまった、という
 
被害者意識から生じるものであって、
 
 
これは、
自分からの一方的な見方でしかない、
 
ということでもあるのです。
 
 
 
 
確かに、実際に、
自分が何かしらの被害にあっているのに、
 
 
それなのに、
被害者意識を持ってはいけないのか、
 
ということにもなるのですが、
 
 
 
この意識の根底には、
 
自分は正しくて、周囲は悪い、
周囲を悪者とすることで、自分を正当化する、
 
という歪んだ見方が前提になっているのです。
 
 
 
 
 
つまり、
 
自分が正しい、という信念が前提となり、
被害者意識や「恨み」の感情を作り上げ、
 
それが、
自分のいい気分を阻害する要因に繋がっているのです。
 
 
 
 
 
当然ながら、
 
私達は、
自分が正しい、という信念に基づいて行動します。
 
 
 
ですが、
それが人間関係に及んだ場合、
 
 
自分の正しいと思うことが、
必ずしも、周囲に通用するものとは限らない、
 
 
というのは、
誰しも経験のあるところだと思います。
 
 
 
 
 
それにもかかわらず、
 
自分が、今まで
いい気分でいられなかったのは、
 
 
自分が正しいことをしているのだから、
それは周囲に理解されて当然である、
 
 
ということを、
当たり前のものだと、思い込んでしまっていたからなのです。
 
 
 
 
当たり前は当たり前ではなく、
思い込みは思い込みでしかないのです。
 
 
 
 
私達は、
自分が正しいということに、
あまりにも囚われ過ぎてはいないでしょうか。
 
 
 
そのことに気が付くことが、
 
自分をもっと自由にし、
「いい気分」でいられることになるのです。