「思い込む」自分
人は、
自分の身の回りに起きた出来事に対し、
感情や意識が、何かしらの形で反応します。
そして、
その「受け取り方」は、
人それぞれであって、
たとえ、
同じ出来事であっても、
人が違えば、
全く「異なる反応」をします。
則ち、
誰かにとって、
「とても楽しい」、と感じることも、
人によっては、そうでないかもしれないし、
また、
誰かにとって、
「凄く辛い」、と思うことであったとしても、
もしかしたら、
他の人にとっては、
たいした問題ではないのかもしれないのです。
「人間関係の難しさ」の一つが、
まさにこの「受け取り方の違い」
によるものなのです。
人間関係ですから、勿論、
自分が「思い込む」ばかりで、
他の人の思いを「考慮しない」のは論外であり、
他の人がどのような思いでいるのかを
「推測する」ということが必要なのですが、
ある意味、
それすらも、
自分の「思い込み」でしかない、のです。
たとえ、
他の人のことをどれだけ理解していたとしても、
自分の「思い込み」には、変わらないのです。
自分が勝手に、理解していた「つもり」、
になっていたに過ぎないのです。
ですので、結局のところ、
どれだけ人の思いを理解しようと、
努力をしたとしても、
そこには限界があるわけですので、
たとえ、
他の人の「同意」を得ることが出来ないからといって、
そのことに関して、
自分を「卑下」したり、
「悲観」する必要はないのです。
ですので、
「堂々」と「思い込んで」いればいいのです。
勿論、
自分の考えに「過ち」があるのなら、
そこは「改める」必要はあるのですが。
他の人のことばかりに過敏になってしまって、
自分のことを疎かにしてしまってはいませんでしょうか?
何よりも大事なのは、
自分の「思い」であるということ、
改めて見直す機会になればと思います。