哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

「感情」を動かす

「子供」の頃は、誰もが、
どんな些細なことであっても、
 
興味を持ったり、感動したり、
期待したり、妄想したり、
喜んだり、悲しんだりと、
 
 
何かの出来事に対して、
素直に、純粋に、
「感情を表現」していたと思います。
 
 
 
ですが、
やがて「大人」になるにつれ、
 
「感動を覚える」ことも、
「感情を動かされる」ことも、
少なくなった、のではないでしょうか。
 
ある意味、それが、
「大人」になる、
ということでもあるのですが。
 
 
 
このようになることは、
実は、この社会を生きるために、
必要なことでもあって、
 
 
「感情を動かす」
ということは則ち、
「感情」が「思考」を上回ってしまうため、
 
 
「物事を客観的に見れない」
「論理的に考えることが出来ない」
「冷静に判断が出来ない」
 
という状態を引き起こすため、
 
 
「大人」として生きるためには、
 
「感情を動かさない」
ようにならざるを得ない、
とも言えるのです。
 
 
 
そして、残念なことに、
「感情を動かさない」ことに慣れ過ぎてしまって、
 
 
自分の「感情」がどこにあるのかすら、
「見失ってしまう」こともあるのです。
 
 
「自分の本心が分からない」、
「やりたいことが分からない」、
「自分には期待出来ない」
 
これらはその「一例」なのです。
 
 
 
 
私達は、
いきなり「大人」として、
この世に存在しているのではありません。
 
当然のことではありますが、
元は、誰もが「子供」だったのです。
 
 
 
そして、生きていく上においては、
 
「大人」としての自分も必要ですが、
「子供」としての自分でいることも、
時には必要なのです。
 
 
 
「子供」の時には、
自分自身に対して、様々な「期待」をし、
その「可能性」を疑うことはなかったはずです。
 
 
それが、成長して
「大人」になったからといって、急に、
 
そのような「自分」を諦めたり、
卑下したり、貶めたりと、
してしまうのは、どうしてなのでしょうか。
 
 
もう一度、
今の自分の「可能性」に、
「挑戦」してもいいのではないでしょうか。
 
 
 
誰にとっても原点は、
「子供」の時の自分なのです。
 
今の自分を変えるヒントは、
「子供」の時の自分にあるのです。
 
 
今からでも、遅くはないのです。
 
「子供」の時、
どのようなことに、
「心」や「感情」を動かしていたでしょう。
 
それを思い出すのです。
 
 
「大人」の自分のままでいては、
何も出来なくなってしまうのですから。