哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

腹をくくる【再掲】

 
どうにもならないような
困難や苦難を目の前にした時、
 
 
どうしようもない不安や絶望感に襲われたり、
自分の無力さに心を痛めてしまうことと思います。
 
 
 
 
私達の人生には、思いがけない形で苦難が訪れるのです。
 
 
 
そして、
その苦難が起きてしまってから、はじめて、
その原因や責任の所在を追及し、
 
 
こうしなければよかったのに、
という後悔の思いでいっぱいになってしまいますが、
 
 
このような思いは、何も生み出すことはありませんし、
何の答えも導き出すことも出来ません。
 
 
 
 
 
既に起きている現実から、
逃れることが出来ないのであれば、
 
 
腹を括るしかないのです。
 
 
 
事態の全てを受け入れて、
それでも、その状況を何とかする、という覚悟が必要なのです。
 
 
 
 
覚悟が出来た時、そこに苦悩はありません。
 
 
 
何かをするよりも先に、
どのような自分でいるのかが大切なのです。
 
 
 
 
 
誰もが、例外なく、
自分が思っているよりも遥かに、強いのです。
 
 
 
自分で気が付いていないだけで、
困難を克服する力を持っているのです。
 
 
 
私達に必要なことは、
腹を括って、いまを生きる、ということなのです。
 
 

苦労と成長【再掲】

 
人生の目的というのは、
人それぞれに解釈の仕方が違うとは思いますが、
 
 
その一つとして、魂の成長のため、であるならば、
 
 
苦しむために生まれてきた、
という考えもあるのではないかと思います。
 
 
 
 
誰もが、
様々な経験を経て、今の自分に至っているのですが、
 
 
大きな転機というのは、大抵の場合、
苦しいことがきっかけにあって、
 
 
それを克服することで、今の自分へと成長してきたのです。
 
 
 
 
いわば、
成長するためには苦しみが必要、ということであり、
 
 
それが、生きる目的でもある、と言えるのかもしれません。
 
 
 
 
とはいっても、
苦しいことは誰もが嫌ですし、避けたいのは当然のことでしょう。
 
 
 
 
苦しいことを、
避けるべきもの、と解釈するから辛くなるのであって、
 
 
成長できる唯一の機会、と捉えれば、
もっと前向きに受け止められるのではないでしょうか。
 
 
 
 
一番、避けたいのは、
 
 
苦しいからといって、
 
 
何もしないでいること、
もしくは、
今まで通りのままでいようとすること。
 
 
 
勿論、状況によっては、
何もしないでいることも、一つの方便ではあるのですが、、
 
 
 
しかしながら、
ただ苦しいのが嫌だからでは、
 
 
それは、
目前に迫っている成長の機会を、自ら放棄してしまっているのと
同じことになってしまうのです。
 
 
 
 
それでも、どうしても苦しければ、
途中でやめてもいいし、逃げてもいいのです。
 
 
 
やめてもいい、逃げてもいい、
という選択を自分の中で否定してしまうから、
 
 
苦しいことに対し、前向きに受け入れられないのです。
 
 
 
 
私達は、誰もが、いつでも成長したいと思っていますし、
その度に、苦しいことは付き纏ってくるのです。
 
 
 
誰一人、
今の自分のままでいいとは思っていないのですから、
 
苦しいことを受け入れる勇気が必要なのです。
 
 

思考と現実【再掲】

 
どうしても、
悩み事や心配事が頭から離れない時があります。
 
 
 
このような時、
ただ漫然と不快な気分を感じていても、何も変わりません。
 
 
 
しかしながら、だからといって、
そのような思考をやめるしかない、と分かっていても、
そんなに簡単に止めることが出来るものでもありません。
 
 
 
 
もしかしたら、
ずっと考え続けていれば、
やがて何かの答えが見つかるかもしれませんし、
 
 
不安に思っていた通りの出来事が、仮に起きたとしても、
頭の中で先にシミュレーションしているから、
 
 
そんなに精神的なダメージを負わずに済む、
と思ってしまっているのかもしれません。
 
 
 
 
 
そもそも、
この考えている、いま、という瞬間というのは、
 
 
それについての思考をしているだけであって、
その問題自体が、実際にいま起きているわけではないのですが、
 
 
この自分の中の思考を、
まるで現実のものとして感じてしまうことよって、
 
自分で自分の心を息苦しくしてしまっているのです。
 
 
 
 
勿論、これは、
思考の中の世界のことであって、現実のことではありません。
 
 
 
現実のいまのこの瞬間に、
自分が不安に思っていることは何も起きていないのです。
 
 
 
 
 
当然ながら、
私達はこの現実の世界で生きていて、思考の世界ではありません。
 
 
 
現実の世界ではどこまでいっても、いま、しか存在せず、
 
 
いましか生きられないのだから、シンプルに、
いましか出来ないことをするだけなのです。
 
 
 
人生とは、いまを生きること、それだけなのです。
 
 

エゴの解放【再掲】

 
幾人かの成功者や偉人達が、
何かしらの大業をなしてきたのは、
 
 
一つのことをやりきる、という、
 
 
明確でブレのない、強い意志があったから、
と言えるのではないでしょうか。
 
 
 
 
強い意志というのは、
志、目的、向上心、探求心であり、
 
 
その最たるものが、
エゴであり、自我、我欲なのです。
 
 
 
 
そして、
この強いエゴがあったからこそ、
これまでの常識を変えてきたわけであって、
 
 
何かを変えていくためには、
エゴこそが必要だとも言えるのです。
 
 
 
 
 
しかしながら、
 
このエゴにも、良い面と悪い面があるのは、
誰もが認識している通りで、
 
 
悪い面が作用してしまえば、
それは、本当の意味で、
 
 
自分本位、自分だけが良ければそれでよい、
という発想に陥り、
 
 
その結果、
 
エゴそのものを持たない方がいい、
という考えに終始してしまうのです。
 
 
 
そして、そのような認識が、
自分の中のエゴを中途半端なものにさせてしまい、
 
 
それによって、
何事もなすことが出来ないまま、中途半端に終わり、
 
 
結局、エゴは持つべきではない、
という考えに落ち着いてしまうのです。
 
 
 
 
 
私達にとって、エゴとは、
この世で生きるためのエネルギーでもあり、
 
 
エゴがあるからこそ、
何かを実現させることが出来るのです。
 
 
 
 
何かをなすための最初の起点は、必ず自分であって、
自分本位でいることは必要なことなのです。
 
 
 
 
何かを変えるために、
エゴでいることに躊躇していてはダメなのです。
 
 
 
もっと自分自身のエゴを解放するのです。
 
 

作られたイメージ【再掲】

 
どうしても、
人の目が気になってしまうことがあると思います。
 
 
 
それは、
自分の中に、確固たる自分がないから、であって、
 
 
それが故に、
 
自分に対する人の意見というのが、
そのまま自分自身のイメージになっていることはないでしょうか。
 
 
 
ある人は、貴方を高く評価してくれる、一方で、
別の人は、悪い人であると判断する。
 
 
 
 
人によって見方は様々に異なり、
 
その見方も、
自分達にとって都合のよいところしか見ることはないのだから、
 
 
どれが本当の自分なのか、といっても、
いずれも定かではないのです。
 
 
 
 
寧ろ、問題なのは、
 
その意見を受けて、
 
「自分はこのような人間なのだから、
このように振舞わないといけない」
 
 
と思い込んでしまうこと。
 
 
 
 
 
たとえ、
人に言われたことだとしても、
 
 
そのイメージを自分が認めている、
という見方もありますが、
 
 
それでも、
誰かによって作られたイメージであることには、
変わりはないのです。
 
 
 
 
 
生まれ持った性格や環境の影響はあるものの、
 
 
「自分はこのような人間だから」、
 
というイメージに基づいて、
思考したり行動したりすべきではないのです。
 
 
 
イメージに関係なく、自由に思考し、行動する。
 
 
私達は、
自分のイメージに囚われてはいけないのです。
 
 

やるべきこと【再掲】

 
何をしていようと、何を考えていようと、
どんな気分でいようとも、
 
刻々と時は過ぎていきます。
 
 
 
その時が過ぎてしまえば、
いままでのことは全て過去のものとなり、
 
 
そこからまた新しいいまがやってきて、
何かをしたり、考えたり、感じたりするのです。
 
 
 
人生は全てこれの繰り返しなのです。
 
 
 
 
 
 
人によっては、いま、
 
とても物事が上手く進んでいたり、逆に、
 
上手くいかずに、
停滞、後退してしまっている人もいるかと思います。
 
 
 
 
その上で、
時だけは、誰に対しても等しく流れていて、
 
 
この、いまという状態は、
まさに、いまだけでしかなく、
 
 
今後、
二度と同じように過ごすことは出来ません。
 
 
 
 
 
その中において、誰もが、
 
自分にとって、いまやるべきことは、
常にやっています。
 
 
 
それによって、
 
物事が上手くいくかどうか、というのは、
その一時の事象でしかなく、
 
 
たまたま上手くいったかもしれませんし、
その逆もまたあるのです。
 
 
 
上手くいく時もあれば、そうでない時もあるという、
それの繰り返しなのです。
 
 
 
人生全体から見れば、
成功も失敗もない、ということなのです。
 
 
 
 
例えば、
やろうと思っていたのにやらなかった、
ということにより、
 
思うような結果を得られなかった、
と思ってしまうこともありますが、
 
 
 
それも、単に、
いまやるべきではなかったから、やらなかった、
というだけのことであって、
 
 
やるべきことをやっていることには変わらず、
やり残していることは何もないのです。
 
 
 
 
私達は、いつでも、
自分がやるべきことはやっているのです。
 
 
 
ですから、
過去を悔むことも、未来を心配することもないのです。
 
 
 
どこまでも、
いまを生きることに集中するだけなのです。
 
 

納得のいく人生【再掲】

 
人生で悩むことは、人によって様々。
 
 
仕事、家族、お金、健康・・・
 
 
思った通りの生き方を得られたつもりでも、
 
 
数多くの犠牲を払ったり、
自分の想像したようなものではなかったり、
 
 
自分の思い描く人生に巡り合うのは、
難しいことなのかもしれません。
 
 
 
 
「運」や「縁」、「タイミング」
のような外的な要因もありますが、
 
 
あくまで自分が選んだ道なのだから、
全ては自己責任であるともいえるでしょう。
 
 
 
 
 
ただ、
今の状況に納得がいかないのであれば、
 
 
その状況に甘んじることなく、
 
別の道を探すこと、もしくは、
自分で創り出すことも選択肢としてあり得るのです。
 
 
 
 
自分の納得のいく人生というのは、
 
 
そう簡単に探し出せるものでもないし、
見出せるものでもありません。
 
 
だがそこで、諦めてしまっては、
全ては今のままで、何も状況は変わることはない。
 
 
 
人生とは、
自らの手で獲得し、奪い、確保していくもの。
 
 
 
いつどこで、
どのようなチャンスが巡って来るか分かりませんが、
 
 
諦めの気持ちでいてしまっては、
せっかくのチャンスも見過ごしてしまうのです。
 
 
 
諦めるのは、まだ早すぎるのです。
 
 
とにかく執念深く、探し続けるしかないのです。
 
 
求めているものは必ず見つかるはずなのですから。