哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

「新しい」ことを得るには【再掲】

何事もとにかくは、
「習慣化」することが大事です。
 
 
 
このことは、
誰もがよく認識しており、
 
 
何とか取り入れようと、
試行錯誤している人も多いかと思いますが、
 
 
思いのほか、
難しく感じてしまっている人も
多いのではないでしょうか。
 
 
 
 
日常生活においては、誰にも
「ルーチン」というものが存在しています。
 
 
 
その「ルーチン」が、
多くの人にとって、
生活の大半を占めてしまっている、
のかもしれません。
 
 
 
 
そして、見落としがちなのですが、
 
その「ルーチン」こそが、
 
今の自分自身の「状況」を
作り上げている「大元」なのです。
 
 
 
そのような、
生活の大半を占める「ルーチン」
があるにも拘わらず、
 
 
そこに、
新しい「習慣」を取り入れようとしても、
思ったようにはいかないわけなのです。
 
 
 
 
まずは、
「大元」になっている「ルーチン」を
可能な限り、全て「取り払う」のです。
 
 
 
現状を保ったまま、
新しいことは何も得られないのです。
 
 
 
新しいことを得るためには、
 
今までの何かを
「やめる」、「壊す」、「捨てる」
 
ことが、
「大前提」になるのです。
 
 

他人を「変えたい」と思う時【再掲】

自分と他人との関係において、
 
たとえ、
他人が理不尽だったり、
間違っていたりしたとしても、
 
 
他人を「変える」ことは出来ません。
 
 
自分が「変える」ことが出来るのは、
自分だけです。
 
 
 
 
自分が見ている「風景」は、
自分だけの「世界」であって、
自分だけが、その「世界」に生きるのです。
 
 
 
当然ながら、
他人からは見えるものではありませんし、
その逆もまた然りです。

  
 
他人には、
他人の「考え」や「思惑」があるわけでして、
 
勿論、自分とは異なるのです。
 
 
 
 
 
他人を「変えたい」と思う気持ちの元は、
全て、自分の「中」にあるもので、
 
 
自分の「中」にある葛藤や執着が、
他人に「投影」されているだけなのです。
 
 
つまり、
他人を通して、自分を見ているに過ぎないのです。
 
 
 
それは、結局、
 
他人を「変えたい」のではなくて、
自分を「変えたい」ということなのです。
 
 
 
 
貴方が、
他人を「変えたい」と思ったことは、
 
それは則ち、
自分自身を「変えたい」という気持ちの表れなのです。
 
 
 
ですので、
自分が「変わって」しまえば、
他人のことは最早、
どうでもよくなっていることでしょう。
 
 
全ての問題は、自分の「中」にある、
ということなのです。
 
 

誰の「承認」を得るのか【再掲】

私達は、
何かしらの形で、「自分」のことを
 
「認めてもらいたい」、
という思いを持っています。
 
 
 
所謂、
「プライド」ともいえるもので、
 
 
「自分」で自分のことを「認める」だけでなく、
「他人」から「認められる」ことを求めてしまうもので、
 
 
誰でも、
そのような思いに駆られたことは、
少なからずあるのではないかと思います。
 
 
 
 
この「認められたい」という思いは、
 
人によっては、
「行動」の「原動力」となり、
 
それは、
頑張りや、
困難を乗り越えることが出来るためのもので、
 
 
いわば、
人生において「必要」なものではあるのです。
 
 
 
 
ですが、
「他人」が、自分を「認める」かどうかは、
 
「他人」が決めるものであって、
「自分」ではないのです。
 
 
 
 
「他人」にその思いを求めるのは、
 
則ち、
「他人」に「承認」を求めるものであり、
「他人」に「依存」してしまうことでもあるのです。
 
 
 
その一方で、
 
「自分」が、「自分」をどのように思うのかは、
 
全て「自分」次第であって、
「自分」の思うまま、なのです。
 
 
 
ですので、
今まで「他人」に向けていたその思いを、
「自分」に向けるだけで良いのです。
 
 
 
必要なのは、
「自分」の「承認」だけで、
「他人」の「承認」は、全く不要な存在なのです。
 
 

「最優先」する事項【再掲】

私達は、特に、
怒ったり、恐れたり、
感情的になったりしてしまうと、
 
 
そのことに対して、
「過敏」に反応してしまいがちになります。
 
 
 
 
「過敏」に反応するということは、
それは、言い換えるならば、
 
 
自分の中での「優先」事項が、
ほんの一瞬の内に、
 
 
最も「高く」なってしまう、
ということにもなるのです。
 
 
 
所謂、
「感情に支配」された状態です。
 
 
 
その力は非常に強いもので、
普段の意識する力よりも遥かに強く、
 
 
まさに、
「思い」を現実化することも可能にしてしまうのです。
 
 
 
 
つまり、私達の意識には、
それだけの大きな「力」があるのです。
 
 
 
自分の意識を、
どこに「最優先」に持っていくのか、
 
 
そこが全てなのです。
 
 
 
 
私達には、誰もが、
意識というその大きな「力」を持っているのですが、
 
 
そのことに、
あまり自覚することはないのかもしれません。
 
 
 
その「力」を、
何に対して「優先」させるのか、
 
もっと自覚することが、必要なのです。
 
 

「思考」から逃げない【再掲】

自分の中に、
嫌いな部分やコンプレックスに感じている等、
 
 
自分に対して、
「ネガティブ」なイメージを
持っている人は少なくないと思います。
 
 
 
 
そして、だからこそ、
そのような自分と決別するために、
自分を「変えよう」と試みるのですが、
 
 
なかなか上手くいかないのが、
実状でもあるのです。
 
 
 
 
 
自分を「変えられない」というのは、
一言で言ってしまうと、
 
 
「今の自分を辞めようとしない」、
ことにあるのですが、
 
 
その理由の一つとして、
 
「辞めたい」
という漠然とした意志はあっても、
 
 
「辞めた後」の自分の「イメージ」を
具体的に描いていないから、
 
 
結果、
何も変わらずじまいになる、
ということなのです。
 
 
 
 
大事なのは、
「イメージ」をすることなのです。
 
 
 
 
所謂、
「イメージ」というものは、
突然、降って湧いてくるものですが、
 
 
その「イメージ」を引き起こすためにも、
 
あれこれと様々に「思考」することが、
プロセスとして必要なのです。
 
 
 
 
「思考」あっての「イメージ」なのです。
 
 
 
 
「イメージ」が、ただ単純に、
降って湧いてくるものだからといって、
 
 
「思考」することから、
逃げてしまってはいませんか。
 
 
 
「思考」することは、
大変な時間と労力を要するものです。
 
 
ですが、そこを疎かにしてしまっては、
何も「イメージ」は出来ず、
何も「創造」することは出来ないのです。
 
 

全ては「破壊」から【再掲】

この世は諸行無常であり、
 
「不変」なものは何一つなく、
全ては「変化」していくものなのです。
 
 
 
そして、
どのような物事においても、
「古い」ものから「新しい」ものへと変わるためには、
 
 
常に、
「破壊」というプロセスが必要となってきます。
 
 
 
 
「破壊」という言葉のイメージだけを捉えると、
あまりいいものではないかもしれませんが、
 
 
「破壊」なくして、
「創造」することは敵わず、
 
常に、
「表裏一体」を成すのです。
 
 
 
 
新しいものを「創造」するために、
古いものを「破壊」する必要があるのであれば、
 
 
逆に言うと、
何かを「破壊」してしまえば、
 
 
それに代わる、
新しい何かを「創造」することになるのです。
 
 
 
 
 
もし、
物事がうまくいかなくなってきたり、
状況が停滞してしまっているのなら、
 
 
それは、
「破壊」すべきタイミングなのかもしれません。
 
 
 
「破壊」することによって、
「ピンチ」を「チャンス」に変えるのです。
 
 
 
全ては「破壊」することから、
はじまるのです。
 
 

他人を「見る」こと【再掲】

仕事やプライベート等、
どのような場面においても、
何かしらの問題やトラブルが付き纏ってくるもの、
 
それが「人間関係」です。
 
 
 
 
 
私達は、誰もが、
「異なる」気質や個性、性格を持っていて、
 
 
根本的に、
相手の人と、うまくいかない、
ということは、どうしても起こり得ます。
 
 
 
もしくは、
何かのきっかけが元で、
相手の人に「ネガティブ」な感情を
持ってしまうこともあるのでしょう。
 
 
 
 
 
とにかく、
いずれにしても、
 
相手の人に対して、
「マイナス」な感情を抱いてしまう元は、
 
やはり、
「自分」なのだ、
 
ということを改めて認識しておく必要はありそうです。
 
 
 
 
そもそも、
相手の印象を決めているのは、全て、
「自分」です。
 
 
 
たとえ、
相手がどのような振る舞いであろうとも、
 
 
「自分」が「思った」ようにしか、
「自分」には「見えない」のです。
 
 
 
 
人は、
「偏見」の固まりとも言えます。
 
 
ですので、
相手の全てを「見る」ことは不可能ですし、
 
「見たい」ようにしか、
「見る」ことは出来ません。
 
 
 
 
そこを意識をすることが出来れば、
相手への「見方」も変わり、
「人間関係」も変えることが出来るのかもしれません。