哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

時間の使いみち

 
人生は有限で、
明日生きているかどうかすら保証はなく、
 
 
私達にとって、
時間ほど大切なものはありません。
 
 
 
 
だからこそ、
 
どのように時間を使うかについては、
徹底的にこだわるべきなのです。
 
 
 
 
 
そして、
その時間を使うべき対象は、
 
 
何よりも、
自分自身に対してであるべきなのですが、
 
 
実際は、
自分以外のことばかりに時間を使ってしまっているのです。
 
 
 
 
自分の無意識の内に、自分の想像以上に、
 
 
多くの時間を、
自分以外のことに費やしてしまっているのです。
 
 
 
 
 
私達が、
自分の思うように生きられないのも、
 
 
自分にかける時間が、
圧倒的に不足しているだけなのです。
 
 
 
 
もっと、
自分のことに集中するのです。
 
 
 
もっと、
自分のために時間を使うべきなのです。
 
 
 
自分以外のことに時間を使うほど、
私達の人生は長くはないのですから。
 
 

何を選択するか

 
私達の毎日は、
選択することの連続です。
 
 
 
時には、
大きな決断を迫られることもあり、
 
 
その影響が大きければ大きいほど、
選択を誤らないように慎重に選ぼうとします。
 
 
 
 
しかしながら、
未来は誰にも分かるものではありませんし、
 
 
そこに、
正解、というものは存在しません。
 
 
あえて言うなれば、
自分が選択したものが、唯一、
正解、になるのです。
 
 
 
 
 
そして、
選択した内容に応じて、
 
 
人生の方向性は、
否が応でも変わってしまいます。
 
 
 
 
ただ、当然のことではありますが、
 
 
その何かを選択しただけでは、
自分の思惑通りの結果を得られるわけではなく、
 
 
大事なのは、寧ろ、
選択した後の行動なのです。
 
 
 
 
極端に言えば、
 
 
何を選択しようとも、
選択しただけでは、自分の思う結果が得られるわけではなく、
 
 
選択した状況によって、必要な行動が変わってくる、
というだけのことなのです。
 
 
 
 
忘れてはならないのは、
 
何を選択しようとも、全ては、
後の行動次第だということなのです。
 
 
 
何を選択しても、
行動次第で、いくらでも軌道修正することが、
可能だということなのです。
 
 

何を受け入れるか

 
私達の誰もが、
感情、思考、行動における、選択の自由を持っていて、
 
 
望むものを選ぶことも、望まないものを選ぶことも、
完全に自分の自由なのです。
 
 
 
 
当然ながら、
自分の望まないものを、自ら進んで選ぶことはないのでしょうが、
 
 
実際には、
望まないことに囲まれている、
 
という現状を鑑みれば、
 
 
やはり、
心の中で望まないものを選んでしまっているのです。
 
 
 
あるいは、
望まないものを受け入れてしまっている、
 
とも言えるのでしょう。
 
 
 
 
 
望まないものは、
自分が拒否しない限り、
 
 
受け入れてしまっていることにもなっており、
 
 
 
あくまで、
望まないものは一切受け入れない、
 
 
という強い意思を持ち、
その選択を採らなければならないのです。
 
 
 
 
何を選択するのも、
全ては自分の自由であり、自分の責任でもあるのです。
 
 
 
自分が受け入れるものは全て、
自分にしか選択することは出来ない、
 
 
ということを、
しっかり認識しておかなければならないのです。
 
 

自分に起きる出来事

 
自分にとって、
 
嫌なこと、苦しいこと、起きて欲しくないこと、
というのは、
 
誰もが避けたいことではありますが、
 
 
 
見方を変えれば、
 
 
その出来事というのは、
 
 
自分だからこそ起きているのであって、
それは、自分にとって必要なことだから、
 
とも言えるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
また、これに限らず、
 
 
自分に起きることの全てが、
その時の自分にとって必要なこと、
 
とも解釈すれば、
 
 
 
逆に、
自分に起きていないことは、
 
 
自分には不要なことだったから起きなかった、
のであって、
 
 
過去を振り返り、
「もし~だったら」と思い、後悔することによって、
 
 
自分で自分の心を煩わしてしまうことは、
何一つないはずなのです。
 
 
 
 
言い換えれば、
 
自分に起きた出来事は、全て、
自分にとって最善なことだからこそ起きる、
 
ということでもあるのです。
 
 

問題の正体

 
私達の誰もが、
大小、様々な問題を抱えています。
 
 
 
そして、
問題の捉え方も人それぞれで、
 
 
ある人にとっては、
なんてことのない問題であったとしても、
 
 
別の人にとっては、
困難で厄介な問題であると感じてしまうものです。
 
 
 
 
 
問題というのは、
人の主観によって変化し得るものであって、
 
 
 
逆に言うと、
 
自分がどのように問題を捉えるかで、
如何様にも変わる、ということなのです。
 
 
 
 
 
問題を、解決するのが難しいもの、
として認識してしまえば、
 
 
その認識した通りに、
解決するのが難しいもの、になり、
 
 
 
反対に、
当たり前のように解決できるもの、
と認識すれば、
 
 
解決するのが難しい、
とは思うことはないでしょうし、
 
 
そもそも、
問題が存在している、
とも思わないはずなのです。
 
 
 
 
 
私達は、
 
問題を問題として認識してしまうことで、
自らの中に壁を作ってしまい、
 
 
その壁によって、
自分の思考や行動に対して、制限をかけ、
 
 
その結果、
解決することが難しいもの、
と思うようになってしまうのです。
 
 
 
 
 
つまり、
 
問題を問題にしているのは、
自分自身であるということなのです。
 
 
 
 
 
問題として認識してしまう出来事というのは、
確かに存在はするのですが、
 
 
 
それを、
 
大きな問題としてしまうのも、
ただの小さな出来事にしてしまうのも、
 
 
全ては、
自分の意識次第だということなのです。
 
 

行動しない選択

 
自分が行動出来ない、
 
ということに、悩みを感じている人は、
非常に多いのではないでしょうか。
 
 
 
 
それは、
自分の意思において、
 
 
「行動しない」、
という選択を自ら採用しているからであって、
 
 
そもそも、
悩むべきことではないのかもしれないのですが、
 
 
 
一方では、
 
 
とにかく行動しなければならない、
行動しなければ何も変えることが出来ない、
 
 
という、社会的な通念や常識にも強く影響
されてしまうことで、
 
 
 
 
本来、
「行動しない選択をした自分」
だったはずなのに、
 
 
いつの間にか、
「行動出来ない自分」
に、自分のイメージをすり替えてしまっているのです。
 
 
 
 
 
しかしながら、
 
私達の誰もが、当たり前のように、
常に、何かを選択し、行動しています。
 
 
 
それは、
「自分で選択して、行動している」のであって、
 
「行動出来ない人はいない」ということでもあるのです。
 
 
 
 
行動する、行動しないは、
 
 
あくまで、
主体的な意思に基づいて選択しているだけであって、
 
 
決して、
行動出来ない訳ではない、ということ、
 
 
自ら、
「行動しない」選択をしたに過ぎないだけなのです。
 
 

赦すということ

 
他人を赦すことが出来ても、
自分を赦せない、という人も少なくないかと思います。
 
 
 
その逆のパターンは、
あまりないのかもしれませんが、
 
 
他人は自分にとって、鏡の存在でもあり、
 
 
いずれか一方を赦しても、
もう一方を赦すことが出来なければ、
 
 
結局のところ、
 
 
そのどちらも赦すことが出来ていない
ということなのです。
 
 
 
 
そして、
自分を赦せるのは、自分だけで、
自分を赦すことで、他人を赦すことが出来るのです。
 
 
 
 
赦すべき対象は、
誰よりもまずは、自分、なのです。