哲学的思考~Philosophical Thinking

~よりよく生きるために、自分自身を見つめ直す~

作られたイメージ

 
どうしても、
人の目が気になってしまうことがあると思います。
 
 
 
それは、
自分の中に、確固たる自分がないから、であって、
 
 
それが故に、
 
自分に対する人の意見というのが、
そのまま自分自身のイメージになっていることはないでしょうか。
 
 
 
ある人は、貴方を高く評価してくれる、一方で、
別の人は、悪い人であると判断する。
 
 
 
 
人によって見方は様々に異なり、
 
その見方も、
自分達にとって都合のよいところしか見ることはないのだから、
 
 
どれが本当の自分なのか、といっても、
いずれも定かではないのです。
 
 
 
 
寧ろ、問題なのは、
 
その意見を受けて、
 
「自分はこのような人間なのだから、
このように振舞わないといけない」
 
 
と思い込んでしまうこと。
 
 
 
 
 
たとえ、
人に言われたことだとしても、
 
 
そのイメージを自分が認めている、
という見方もありますが、
 
 
それでも、
誰かによって作られたイメージであることには、
変わりはないのです。
 
 
 
 
 
生まれ持った性格や環境の影響はあるものの、
 
 
「自分はこのような人間だから」、
 
というイメージに基づいて、
思考したり行動したりすべきではないのです。
 
 
 
イメージに関係なく、自由に思考し、行動する。
 
 
私達は、
自分のイメージに囚われてはいけないのです。
 
 

やるべきこと

 
何をしていようと、何を考えていようと、
どんな気分でいようとも、
 
刻々と時は過ぎていきます。
 
 
 
その時が過ぎてしまえば、
いままでのことは全て過去のものとなり、
 
 
そこからまた新しいいまがやってきて、
何かをしたり、考えたり、感じたりするのです。
 
 
 
人生は全てこれの繰り返しなのです。
 
 
 
 
 
 
人によっては、いま、
 
とても物事が上手く進んでいたり、逆に、
 
上手くいかずに、
停滞、後退してしまっている人もいるかと思います。
 
 
 
 
その上で、
時だけは、誰に対しても等しく流れていて、
 
 
この、いまという状態は、
まさに、いまだけでしかなく、
 
 
今後、
二度と同じように過ごすことは出来ません。
 
 
 
 
 
その中において、誰もが、
 
自分にとって、いまやるべきことは、
常にやっています。
 
 
 
それによって、
 
物事が上手くいくかどうか、というのは、
その一時の事象でしかなく、
 
 
たまたま上手くいったかもしれませんし、
その逆もまたあるのです。
 
 
 
上手くいく時もあれば、そうでない時もあるという、
それの繰り返しなのです。
 
 
 
人生全体から見れば、
成功も失敗もない、ということなのです。
 
 
 
 
例えば、
やろうと思っていたのにやらなかった、
ということにより、
 
思うような結果を得られなかった、
と思ってしまうこともありますが、
 
 
 
それも、単に、
いまやるべきではなかったから、やらなかった、
というだけのことであって、
 
 
やるべきことをやっていることには変わらず、
やり残していることは何もないのです。
 
 
 
 
私達は、いつでも、
自分がやるべきことはやっているのです。
 
 
 
ですから、
過去を悔むことも、未来を心配することもないのです。
 
 
 
どこまでも、
いまを生きることに集中するだけなのです。
 
 

納得のいく人生

 
人生で悩むことは、人によって様々。
 
 
仕事、家族、お金、健康・・・
 
 
思った通りの生き方を得られたつもりでも、
 
 
数多くの犠牲を払ったり、
自分の想像したようなものではなかったり、
 
 
自分の思い描く人生に巡り合うのは、
難しいことなのかもしれません。
 
 
 
 
「運」や「縁」、「タイミング」
のような外的な要因もありますが、
 
 
あくまで自分が選んだ道なのだから、
全ては自己責任であるともいえるでしょう。
 
 
 
 
 
ただ、
今の状況に納得がいかないのであれば、
 
 
その状況に甘んじることなく、
 
別の道を探すこと、もしくは、
自分で創り出すことも選択肢としてあり得るのです。
 
 
 
 
自分の納得のいく人生というのは、
 
 
そう簡単に探し出せるものでもないし、
見出せるものでもありません。
 
 
だがそこで、諦めてしまっては、
全ては今のままで、何も状況は変わることはない。
 
 
 
人生とは、
自らの手で獲得し、奪い、確保していくもの。
 
 
 
いつどこで、
どのようなチャンスが巡って来るか分かりませんが、
 
 
諦めの気持ちでいてしまっては、
せっかくのチャンスも見過ごしてしまうのです。
 
 
 
諦めるのは、まだ早すぎるのです。
 
 
とにかく執念深く、探し続けるしかないのです。
 
 
求めているものは必ず見つかるはずなのですから。
 
 

感情を選択する

 
毎日が、
心配や不安の連続である、という人も多いかと思います。
 
 
 
一寸先も見えず、
この先の自分の人生はどうなってしまうのかと。
 
 
 
 
私達はそうして、
 
心配をすることによって、
想定していた事態を防ごうとしているのかもしれませんし、
 
 
 
もしくは、
想定の事態になったとしても、
 
 
先にその恐怖を味わっておけば、
それ以上の苦しみを味わうことはない、
 
と思っているのかもしれません。
 
 
 
 
 
ですが、
 
そこで、心配しようがしまいが、
起きることは起きてしまっている、という事実もあります。
 
 
 
そうであるならば、
 
同じ出来事であったとしても、
 
心配とは別の感情を選択することも可能ではないか、
ということなのです。
 
 
 
もっと気を楽に、
楽観的に生きることも選択出来るのだから、
 
 
心配や不安を自分の心から締め出し、
 
いま出来ることをやっていくのです。
 
 
 
 
 
生きている限り、何度でも、
心配や不安は湧き上がってくると思います。
 
 
 
ですが、それでも、その度に、
楽観的に生きることを、自分で選択するのです。
 
 
自分の感情は自分が選ぶのです。
 
 

心の平安を取り戻す

 
私達は、
誰もが安心で幸せな人生を望んでいます。
 
 
 
 
それは、いつも、
何かしらの不安や不幸な思いを感じていて、
 
 
それらが自分の心を苦しめるから、
 
それを払拭するために、
安心したい、幸せでいたい、と願うのです。
 
 
 
 
安心や幸せを感じたい、というのは、
言い換えれば、
 
心の平安を取り戻したい、ということ。
 
 
 
そして、
心の平安とは、自分に対する信頼そのものでもあるのです。
 
 
 
 
 
自分に対する信頼がないから、
不安であり、不幸な思いを感じるのです。
 
 
 
逆に言うと、
自分に対する信頼さえあれば、
 
 
たとえどのような状況であっても、
不安にも不幸にも、何とも思わないはずなのです。
 
 
 
 
安心や幸せを求めるのは、
自分の中にある信頼を見失ってしまっているからなのです。
 
 
 
自分の外側に、
安心や幸せになるための特別な何かがあって、
 
それを追究することでしか得られない、ということではありません。
 
 
 
 
 
自分への信頼を取り戻すのに、何も特別な事は必要ないのです。
 
 
 
根拠はないのですが、
 
自分は、
これまでも何とかしてきたのですから、
これからだって何とかするはずなのです。
 
 
 
何が起きても大丈夫、なのですから、
 
心の平安をいつでも取り戻すことが出来るのです。
安心や幸せでいることが出来るのです。
 
 

存在としての価値

 
人の価値、というのは、
 
誰かのために役に立つか立たないか、
というのが一つの見方としてあるのですが、
 
 
それは、
社会的な価値、であって、
存在としての価値、ではありません。
 
 
 
存在は、
存在すること自体に価値があるので、
 
それ以上の何ものも必要とはしませんが、
 
 
 
私達にとって、
すぐ目の前にあって、
あまりにも当たり前のようになってしまっていて、
 
その存在としての価値に気づいていないのです。
 
 
 
 
私達は、
社会の中にしか、自分、というものを見出せないからです。
 
 
 
ですから、
社会的に認められるために、周囲の評価を得るために、
そのことだけに必死になるのです。
 
 
 
 
勿論、
社会に貢献し、社会に認められることは大事なことです。
 
 
 
 
ですが、その前に、
 
存在としての自分の価値、
というものを知っておかなければなりません。
 
 
 
存在としての価値は、
自分だけが知っていればいいものなので、
 
わざわざ自分に対して、それを証明する必要もありません。
 
 
 
 
 
自分と周囲と比較したり、
周囲のことばかりが気になってしまったり、
 
 
そのことで、
生きることが苦しくなってしまうのも、
 
 
自分の中に、
存在としての価値を感じていないからなのです。
 
 
 
 
この価値は、
何かをすることで得られるものではなく、
元々、自分の中に備わっているもので、
 
それに気づいているかどうか、だけのことなのです。
 
 
 
 
自分がいま、
どのような状況であっても関係ありません。
 
 
 
自分が存在することそのものに、価値があるのですから、
 
 
何があっても大丈夫、ということを忘れてはならないのです。
 
 

自分に言い聞かせる

 
苦悩の最中は、
苦しいということだけで、頭がいっぱいになり、
 
 
何も見えないし、何も聞こえない、
何も考えられなくなってしまうものです。
 
 
 
ですが、それでも、
ある時何かに気がついたり、何かの出会いによって、
 
自分の中にきっかけを見出すことが出来るのです。
 
 
 
 
人生は常に動き続けているので、
 
いまこの瞬間に起きていることだけを捉えて、
判断してしまうのは、間違いなのですが、
 
 
悩んでいる時には、それが分からないのです。
 
 
 
 
だから、
理屈ではなく、とにかく自分に言い聞かせるのです。
 
 
「必ず何とかなる」と。
 
 
 
 
何ともならなければ、
ならないなりに何とかなっていくのだから、
 
そこからまた何とかしていくだけのこと。
 
 
 
 
仕事やお金、人間関係、、
失くしたものはすぐには戻ってこないけど、
 
 
自分の気力だけは、
自分次第でいつでも取り戻すことが出来るのです。
 
 
 
 
やる気が戻れば、
問題はほとんど解決したも同然で、
 
 
後は、
いまやれることをやっていくだけなのです。
 
 
 
 
 
過去の終わったことや、将来のことばかりを
背負いこまないで、いまを生きるのです。
 
 
 
たとえ、状況がどうであれ、
これ以上の生き方はありません。
 
 
 
いまを生きること、これだけなのです。